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不幸の階梯とか比べてどうのこうのとかあんまり不幸に浸るとそれがアイデンティティになっちゃうよね、みたいな

スマホの機種変更でオタオタしてしまいました。会社の昼休みにちょこちょこっとやろうとしたのが失敗だった。自宅でパソコン開いていちいち確認しながら進めてようやく無事完了。これでe-Taxが使えるようになる、はず。

(元)妻が入院していた時の話です((元)妻はここを見てないので書いても大丈夫だろ、多分)。同室の患者さんが何かある度にお子さんが自閉症でツライのがアナタタチには分からないみたいなことを言って周囲を責めるのに辟易した妻が「ワタシの娘は統合失調症で引きこもってて窓から飛び降りるのを止めようとして骨折したんだ」みたいな話をポロッと言ってしまったところ、少しの間キョトンとしていたその患者さんが「でも、生まれたときからじゃないでしょう?」みたいなことを言い出してこりゃダメだと(元)妻は思ったそうです。とりあえずそれからは子どもの苦労で周囲に当たることは減ったそうなので、まあ(元)妻が思い切ったのは少しは同室の他の患者さんにはプラスだったのかもしれません。

その話を聞いて私が思い浮かべたのは私の姉です。姉は生後数ヶ月でポリオに感染してそれからずっと両足と両肩に麻痺を抱えています。いわゆる小児麻痺です。世界的に生ワクチンが導入される前に北海道で大流行があったのです。しかも大流行の発生源って、私の母が父との結婚前に暮らしていた土地だったりするんだよな。なんかこう、あれです。

その姉はパラリンピックが大嫌いでした。姉に言わせると後天的な障害者と姉のような物心つく前に感染した障害とでは全然違うのだそうです。ただ、それ言っちゃうと姉の通う養護学校にもいる先天的な障害とか、後はサリドマイドなどの薬害とか、そういうのはどうなるのかと思ったら、姉に言わせるとそれはそれでまたどれも微妙に違うのだそうです。なんか難しいよね。

姉は養護学校の中等部から商業高校に進学しました。それは本人にとっては非常に大きな誇りになっていました。商業高校がどうこうではなく、障害者としての閉じた環境から「健常者」の世界に飛び込んだという自負、もちろんそれ以前にはある意味において障害者として様々なことが許される(大目に見られる)世界から飛び出すという怖さもあったと思います。商業高校で簿記などの資格を取って地元の百貨店に就職した姉は障害者としてではない普通の職業人としての自分を本当に高く評価していたと思います。何かを成し遂げた感がありました。まあでも百貨店の経理部で札束数えてる時は金銭感覚おかしくなって、違う意味で危なかったけどな。

姉からの視点では障害や病気には様々な段階がはっきりと存在していました。そして、それは、互いにわかりあえないという認識を前提としています。そういうところ、なかなか厳しいです。

(元)妻が遭遇した不幸なお母さんと姉は似ています。不幸には階梯があり、下の階梯のヒトは決して上の階梯のヒトのことを理解し得ない。そんなことを思っているのかいないのか。そこまで考えていなくともうっすら考えてんだろうなと。こんなこと言っちゃなんですが、どの不幸もわりとありふれた不幸でそんなに珍しくもないですよ。自分はずっとそんな感じです。

まあ、それはいいのですが、こうした不幸の階梯に自らを置いてしまうと、不幸であることがアイデンティティになってしまう可能性もあり、どちらかというとそちらのほうが怖いようにも思うのです。不幸の原因が解決した時に不幸で無くなった私は一気に特別な存在でも無くなってしまうのです。それまで心の拠り所にしていた不幸が無くなった時、ヒトには何が残るのでしょうか。何も残らなかった時、ヒトはどうなるのでしょうか。

不幸は不幸でしょうがない部分があります。治らない障害はどうしようもないです。でも、なんだろうなあ、不幸以外にも色々あるんじゃないの、生きてたら、みたいに思うんだよなあ。その、別にポジティブってことでもないんだけど、不幸でいっぱいいっぱいになっちゃうのは違うよねっていうか、不幸中の幸いみたいなことって実はけっこうあるし、あと、こんなこと言っちゃ、さらにあれかもしれないけど、不幸ってたまに笑っちゃうぐらいおかしいことないですか。オレがおかしいのかなあ。なんか生き死にが関わる瞬間はともかく、それ以外の刹那では「なんか面白い」みたいなことないですかね。もっと言うと、その瞬間は確かに生き死にがかかって切羽詰まってたけど、後になって思い返してみるとふんわり笑えるとか、そんな感じ。

不幸自慢は自分もついついしてしまいますが、喋ってる自分がバカで面白くなってくることもあったりします。泥酔状態で貧乏を思い出して泣いてるのとか、後で思い出すと恥ずかしいよりも笑えるというかなんというか。

なんというか、ね。

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高島利行
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