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プレコックス感、自分はやっぱりあると思っていますが、だからといって決めつけてはいけないとも思うのです

このnoteを千日以上書き続けて来た中で、以下のエントリは特に読まれているうちのひとつです。

「いいね」は少ないのですが、本当によく読まれています。プレコックス感で検索してくるのでしょうか。noteはそういうの分からないんですよね。そのあたりの簡単な統計が見られると嬉しいですが、そういうのを知りたいなら自分のブログなりWebサイトなりでやれってことかもしれません。そう言われてみるとそうか。

リンク先の内容とダブりますが、プレコックス感というのは「統合失調症の患者と接した時に感じるなんとなく微妙な感覚」のことです。専門家の間でも意見は分かれているようで、なんとなくの感覚じゃまずいだろうということで否定される方も多いようです。とはいえ、統合失調症患者は瞬きや視線の動きが少ないのではみたいな研究もあるようなので、一概に「無い」とも言い切れないと思います。

統合失調症の患者と長く接しているお医者さんの間でも意見が分かれる理由は、やはり「感覚じゃまずいだろ」に尽きるようです。ですが、私は「ある」と思っていますし、患者の家族の方などであれば「ある」という方も少なくないはずです。

ただ、この感覚はあくまで感覚なのでまったくあてになりません。全然そんな風に見えなかったのに病状としては重いとか、逆にものすごくそれっぽく見えるのにまったくそんなことないとか、そういう例も多いと思います。

なので、見た目や言動でどれだけ「……そうかも」と思ったとしても気軽に「多分そうだよね」みたいに決めつけてしまうわけにはいきません。もちろん、本人が「誰もいないのに声が聞こえる」とか「誰かに考えを読まれてる」とか「頭の中で命令されている」とか言い出したら病院に一緒に行くべきだと思いますが、そういう判断も実際に遭遇するとなかなか難しいです。

「聞こえる」とか「見える」以前に、急に切羽詰まった感じで怯えたりとか、ひとりでずっと喋り続けていたりとか、そういうのがあってからの「聞こえる」とか「見られてる」は多分ほぼ確実に間違いないので、急いで一緒に病院に行くべきでしょう。

娘の時も「霊の声が聞こえる」と言い出す数ヶ月前に顔色がものすごく悪くて目つきが明らかに怯えているとか、そういう予兆はありました。あの時に気がついていたらとは思いますが、そうだったとしても最終的には今と変わらなかったかもという気もします。

統合失調症は完治するまで行かずとも「寛解に至る病気」という認識が広がりつつあるようです。確かに早めに通院と服薬を始めることで寛解に至り社会の中で生きていける方も少なくないようです。ですが、娘のように寛解への道がまったく見えない患者も多いです。また、寛解に至ったとしても再発してしまう方もいます。再発を繰り返し徐々に悪化してしまう方も。一筋縄ではいきません。

そういう病気なので、長く付き合っているうちに患者や家族に対して冷たく見える対応を取るようになってしまう医療関係の方もいるようです。私が接した中ではひとりだけ「治らないけどどうします?」みたいな医師がいました。若い医師でしたが、実際の患者と接するうちに心がすり減ってしまったんだろうなと、そう思いました。あ、もうひとりいたな。あいつもひどかったな。

本人が消耗するのはもちろんですが、関わる家族も、医療関係者も、非常に負荷の高い病気というか障害です。本当に大変な病気だと思います。

だからこそ、プレコックス感がどうこうはさておき、第三者が見た目や発言だけで決めつけるのは厳禁です。それはさすがにまずいです。

でもなあ、AIでかなりの精度で判定できるという話もあります。

多分、あるんですよ、プレコックス感。

自分はそう思っています。

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高島利行
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