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「不急」ではないが、「不要」どころか「必要」を再認識したスポーツ観戦

こんにちはー

今回はコロナ禍での、自分にとっての「スポーツ」への存在の『気づき』について書いていきます。

コロナ前:子供のやるスポーツ応援での『スポーツ観戦』

子供は水泳をやっていています。
月1位で、元々大会がありました。

当然試合の日には朝から終わるまで応援に行き、土日通しで行う事が多く、送迎含め、1日仕事であることも多くありました。
時には遠征して、試合に行くので、年に数回は東京に行ったりするなど、プライベートの中心イベントになっていました。

コロナ禍:無観客で未だ応援できず

しかし、コロナ後は試合もなかなか開催されず、再開後も室内競技であることや、大会参加者とコーチだけで、収容人員が埋まってしまい、親が入るキャパがなく、無観客試合が今も続いています。

そんな中で僕も無意識にストレスが溜まっていました。

『スポーツ観戦』は僕の心のバランスを保っていた

試合も見れず、知らず知らずのウチに僕もストレスが溜まっていたんだと気づいたのは、最近でした。

ハラハラドキドキしながら、子供を見守り、時に声援を送り、一喜一憂をして、楽しんでいたんです。

それは時にストレス解消になり、自分のメンタルを整えてる役割を果たしていました。

そう、自分にとって『スポーツ観戦』は「不要不急」では、なく、なくてはならない「必要」な存在だったのです!

心の穴を埋めてくれたFC東京

そんななか、僕のぽっかり空いた心を埋めてくれたのはJリーグ観戦。FC東京でした。

元々学生時代は熱狂的なサポで、名古屋在住ながら、よく東京に就職活動と称して、試合に行って、ゴール裏で飛び跳ねていました。

しかし、結婚して子供が、産まれた後は、試合結果は、見るものの、なかなかリアタイで観る機会は減っていました。

しかし、今年は週2回のレギュレーションなので、試合数も多く見れるし、お得かもと思い、DAZNに加入して、毎試合見るようになりました。

これが楽しい楽しい!!
『スポーツ観戦』はこのハラハラドキドキが楽しいし、自分はこの感情が日常的にあることを望んでいたと『気づけ』ました。

声を出して、応援できる事が僕には必要

特に僕は声を出して、応援する事が楽しめる秘訣なんだと気づきました。その点では、この環境下では、リモート観戦が自分には向いているんです。

会場の一体感もたまらないのですが、1番は声なんだと『気づけ』ました。

なんとなくの「スポーツ観戦」好きが、
『声が出せ、興奮できるスポーツ観戦が好き』という事に『気づけ』ました。

それぞれにあった応援の仕方ができる時代

コロナ禍は嫌ですが、現地観戦が好きな人、
僕みたいな声を出したい人、リアタイで観たい人、
仕事終わってからの楽しみにドキドキ録画を観たい人などなど、人それぞれの楽しみ方ができる時代かなと思っています。

価値観が多様化すれば、当然観戦の仕方も多様化します。何が正しいではなく、応援もそれぞれを尊重しながら、みんなで楽しんでいきたいですね。

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