「本は情報を圧縮した言語の器」に、読書の効能を言い表しています。『忘れる読書』
『忘れる読書』は、たとえ本の内容を忘れても読書が自分を鍛えるツールであることを教えてくれるビジネス書です。
「持続可能な教養:物事を抽象化する思考を鍛える→気づく能力を磨くこと」「抽象化する思考:読書→複数のレイヤー/抽象化/整理して脳にインプット」「本を読むと気づく力が鍛えられる」など、教養を継続するための方法が書かれています。
特に「読書の意味:思考体力/気づく力/差分を認識」は、読書をする意味を根本から教えてくれます。
「思考体力をつける」「気づく力をつける」「歴史の判断を学び今との差分を認識する」と、読書には能力を鍛える効能があるのです。
思考は鍛えなければ能力は上がりませんし、気づくにはいろんなフックを得る必要がありますし、歴史を認識しなければ過去から学ぶことはできないからです。
思考を鍛えたいサラリーマンは、本を浴びるように取り込んでください。
「自分の側に読書というパッケージの備蓄がないと、深い会話の機会を逃してしまう」「本は読み手側の熱の出し入れを自在にするメディア」「出典が明らかではなくなるまで頭の中で混ざり合っているからこそ、新たな閃きが降りてくる」などを通して、読書が深い人脈づくりに寄与することを教えてくれます。
特に「ドラえもん:テクノロジーがすべてを解決してくれるという昭和的な夢の世界」は、令和なのに昭和の時代にどっぷり漬かっている日本への警告です。
「今はもうそんな時代ではなく、テクノロジーに何を組み合わせるかが重要」と、ドラえもん的世界観を否定するのが令和の時代の現実です。
なのに日本人は、『昭和40年男』『昭和50年男』などの雑誌にノスタルジーを感じてしまうのです。
昭和の価値観に染まったままのサラリーマンは、新しい価値観にシフトしないと、取り残されてしまうでしょう。
オタクの視点から言うと、「私は漫画も教養だと思っています」に刺さりました。
「漫画のよさ:横に斜めに思考をジャンプさせる弾みをつけてくれるところ」と、創造は点と点を離れた場所でつなげるように、漫画は思考を飛び越えていくシステムです。
「漫画なんて読んで」と、漫画をバカにする親は、子どもの創造性を無くしてしまう行為だと認識した方がいいでしょう。