留学日記#12:冒険という名の宝物〜スイス普通列車の旅
「旅行に行く」となったときに、みなさんは何を求めて、何を期待して出かけるだろう。「旅に行く」となったときに、何を胸に出発するだろう。「旅」と「旅行」は何が違うんだろう?そんなことを、この旅行の間じゅう考えていた。
ハイジになりきったマイエンフェルトでの一夜。次の日は朝7時半にホテルを出発して、スイス一周の旅行に挑むことになった。
世界遺産に登録されているアルブラ線
今回の目的は、世界遺産にも登録されているアルブラ線に乗ること。上の地図の右下(赤と青の文字で隠れているところ)にあるSt. MoritzからChurまでの区間である。山の中を鉄道で峠越えしていく区間は、その路線全体が世界遺産に登録されている。高い山を越えるために、線路もくねくねしていて、トンネルもたくさん。ちょうど今登ってきた線路が見えたりする。なんでこんな険しい道のりを電車で?と思ったが、おそらく環境への配慮からだと思う。自動車は二酸化炭素の排出量が多い。だからあえてバスではなく、鉄道を通せるところは鉄道を通そうというわけだ。
このSt. MoritzからChurを通って、南西にあるZermattまでの区間では、氷河特急(Glacier Express)という観光列車が走っている。「世界一遅い特急列車」として有名な列車で、平均時速は30km、8時間かけてゆっくり走る。日本からも多くの観光客が訪れるほどの大人気列車だ。車窓からはスイスの壮大な山や河川の景色を楽しめ、追加料金を払うとスイスの食事やお酒までついてくるという代物だ。
実は先ほど貼り付けた地図は当初の予定とは大きく異なるものだったのだが、とにかくこの世界遺産の区間を回ってみようということになった。今回はSwiss Saver Day Passという1日乗車券での旅なので、最終的にはここからスイス西部のローザンヌまで、その日のうちに帰ってこなければならない。距離にして東京→大阪くらいだろうか。ただ、最終列車はローザンヌ0:14着で、この地域を16時ごろに出れば帰れるので、かなり時間に余裕があった。この「余白」が、後にとんでもない出会いを生むことになる。
氷河特急に乗らなかった理由
スイスに行ってこのルートを通る日本人なら100人中98人は氷河特急(Glacier Express)に乗る。でも僕たちは違った。実は今回の旅の相方も、1年スイスにいて、この氷河特急には乗ったことがなかった。それでも、乗らないことにした。なぜ?理由はいくつかあった。
なぜ?まず、大人気列車で予約が取りづらかった。空いている列車で、ゆっくり景色を楽しみたいと思ったから。地元の人が見ているのと同じ景色を見てみたかったから。途中で気に入った場所があったら途中下車してみたかったから。窓を開けて自然を肌で感じたかったから。
そう、実は氷河急行が走っている区間には普通列車や急行列車が並行して走っている。1日3本しか走らない氷河急行で採算がとれるはずがないのだから、考えてみれば当たり前なのだが、これが意外とスイス人にも知られていないらしい。確証が持てず、相方がスイス人の友達に聞いてみたが、誰も知らなかったらしい。
普通列車のいいところは、まずガラガラなこと。一番少ない時は僕ら2人で貸し切りだった。あとは、窓を開けられること。昔ながらの客車に当たれば窓を(うまくするとドアも)開けることができる。それから、途中下車や、ルートの変更が自由自在なこと。気に入った場所があれば降りてその場所に行ってみることもできるし、同じ区間を何度も乗ることもできる。計画の変更だっていくらでも可能だ。でも、氷河特急に乗っていたら、一度見た景色は二度と見ることはできない。
僕らは計画を変更して、FilisurからSt. Moritzまでの区間を1往復した。そして、Filisurで途中下車して、世界遺産として有名なランドヴァッサー橋を実際に見に行った。片道徒歩35分。ひたすら坂を下っていく。
当初は1時間後の列車に乗る予定だったが、あまりにも眺めが綺麗だったので、もう少し時間を延ばして、何本か列車を見送ることにした。その結果、その日のうちにローザンヌに戻れる最終列車の1本前になってしまった。それでも実は15:01発。まあ、日本で言えば大阪から東京に帰るような距離(400km)だから、そうなってしまう。
1時間乗っては乗り換えて、を3回ほど繰り返して、だんだん西へと進んでいく。
スイスでは5~10分の遅れが普通。乗り継ぎに失敗しては帰れなくなってしまうので、5時間近く降りずに列車に乗り続けた。最後の乗り継ぎの一歩前まで来たところで、最終列車まで1時間の猶予があることに気づいた。このまま帰れば、23:14着。1本遅らせれば、0:14着。まあここまで来てしまえば似たようなものだ。この「余白」を使って、全く知らない駅で途中下車することにした。
この「全く知らない駅」というのは本当に知らない駅である。日本にもいわゆる「秘境駅」と言われるような駅があるが、「秘境駅」であるがゆえにファンを呼ぶので、訪問客もたくさんいる。ネットで名前を検索すれば、訪問記が出てくるから安心だ。でも、今回の路線は基本的に観光路線なので、途中下車する人なんていないし、日本人ならなおのこと。Googleで調べても日本語ではまず出てこないし、英語でもその州の情報がわかる程度。全く未知の世界だということがわかった。
ここからだんだん列車は山を下っていく。できるだけ標高の高いところで降りたかった。思い立って、Münsterという駅で降りた。スイスの中でも珍しい、ロマンス語圏の地域。電車に乗り合わせたマダムによると、ロマンス語というのはラテン語とイタリア語が混ざったような言語らしい。実はドイツにもMünsterという、三十年戦争の後のウェストファリア会議が行われた都市があるが、それとの関係は不明。ドイツのMünsterとは比べ物にならないくらい小さな街で、住人はほとんどいないようだ。ここに降り立つ日本人は僕ら以外にはいないのかもしれないと直感で思った。いわゆる「世界の果て」って、これのことを言うのだろうか。
駅からとりあえず散歩した。古い時代の街並みが並んでいた。ロマンス語圏に特徴的な街並みが残っていた。今は別荘地になっているらしく、ほとんど人はいない。村全体が、数百年前のまま永い眠りについているようだった。スイス人は別荘を持っていることがステータスというか当たり前らしい。この辺りは標高が1380mと割と高めなので、気温も15℃くらいでだいぶ寒い。
川を渡って20分ほど歩いたところに、街並みを一望できる場所を見つけた。そこに、自分の探していた景色を見出した気がした。誰も知らない、ガイドブックにも載っていない、自分だけの景色。これを探していたんだ、と直感で思った。
幻想的な風景。19世紀の印象派が題材に使いそうな、絵本に出てくるような風景だった。その場で写真は撮ったけれど、確認する前に消してしまった。あまりにも美しかったから。写真を見てがっかりしたくなかったのだ。
自然に対して人間が無力であるのと同じように、あまりにも美しい自然に対して、ときに機械は無力になる。どんなに高性能なスマートフォンでも、あの景色を映すことはできなかった。それどころか、旅の途中でスマホで写真を撮るのがひどく時間の無駄であるように思えてきた。どうせ目で見るには敵わないし、あとから見返すこともないだろうに、何の意味があるのだろう。便利な機械が、むしろ邪魔になり始めた。
時間の関係で、その場所には長くはいられなかったが、僕の記憶にはその景色が異常に強く焼き付いている。山に囲まれた谷のなかの小さな村。誰もおらず、眠りについたような村。日の入りの時間で、周りの山の上の方は太陽に照らされていたが、村には太陽の光が届かずに暗くなっていた。なんだか、底だけ別世界だったようにすら思えた。あれは夢だったのだろうか。
耳を澄ますと、ただただ静かな音が流れていた。牛や馬についたベルの音。川の流れる音。風に草が揺れるサワサワっとした音。向こうで列車の警笛が鳴る音。「幸せの音」というものがあるとしたら、このことを言うのかもしれない。
その1時間後、最終列車がやってきた。その列車に揺られること1時間。Brigという小さな町まで降りてきた。降りた瞬間に、元の世界に戻ってきたのがわかった。明らかに暖かかったのだ。標高にして1000m近く降りてきて、気温が上がったのだ。ようやく、元の世界に、俗世に戻ってきたのを実感した。そしてそれと同時に、今までの世界が何か別の、夢空間だったかのような感覚を僕らに持たせた。
そして、今日1日お世話になった登山鉄道ではなく、いつも乗り慣れたスイス国鉄の急行列車に乗って、住み慣れたローザンヌまで帰って来たのだ。
自分にとって価値あることを
旅行において、一番大事なのは、自分にとって価値のあることをすることだ。定番が好きなら定番を制覇してもいい。美術館が好きなら美術館、自然が好きなら山や海。ホテルでのんびりしたいなら高いホテルに行ってのんびりすればいい。私たちが本屋さんで買えるガイドブックは、万人向け。ここに行けば間違いがない、きっと多くの人が喜んでくれるだろう、というものだ。つまり、全員に当てはまるとは限らないし、すべてがあなたにぴったりはまるわけではない。だから、別にそれに従う必要はないのだ。
けれど、初めて行く全く異国の地でそれは無理があるというものだろう。パリに行ったらとりあえずはルーヴル美術館を見にいくだろうし、ベルリンに行ったらベルリンの壁は見ておくものだ。全く分からない、初めての地では、ガイドに頼ることが必要になることもあるのだ。けれど、ガイドに頼りきりの旅行は、なんとなく違和感を感じる。すごいけど、これって私がしたいことなのかなあ?そう思ったとき、自分が求めているものが見えてくるのではないかと思う。
つまりそこには、自分の価値観がかかわってくる。旅行に行って何をしたいか。できるだけたくさんの場所を訪れたいのか、のんびりしたいのか。都会がいいのか、田舎がいいのか。食にこだわるか、宿にこだわるか。それによって、旅の計画も変わってくるはずだ。けれど、その価値観というものも、旅の数を重ねていかないことにはわからない。だから最初は誰かのガイドブックが必要なのだ。
この旅を通して、自分なりの旅のやり方が分かってきた気がする。その中でも特に重要なのが、誰もやったことのないことをする、誰も行ったことのない(あるいは行きそうにない)場所に行く、ということ。今回で言えば、Münsterとかいう全く有名でもなければ周りに何もなさそうな、つまりはわざわざ降りる意味が分からない駅でとりあえず降りてみる、という経験がそれだ。当然氷河特急は止まらないし、普通列車には観光客はまず乗らない。だからインターネットのどこを探しても訪問記が出てこない。かつて日本人で、あの駅で降りた人はいたのだろうか。
誰も行ったことのない場所に行くのは、ちょっと怖いけれど、ワクワクする。今回は怖くなかった。次の列車が来ると分かっていたから。ちゃんと帰れるとわかっていたから。最悪列車がこなかったとしても、駅舎が綺麗で暖房が効いていたのでそこで夜を明かす気でいた。なんだか、旅行というより、冒険をしているような気分だった。『地球の歩き方』という有名なガイドブックがあるが、まさに「地球」を自分の足で「歩いている」ような気分だった。
この2日間の旅は、間違いなく、人生で一番記憶に残るものだったと思う。氷河急行に乗っていたら、かっちり予定を組んでいたら、絶対に出会えなかったような景色にたくさん出会うことができた。これがスイスの魅力なのだとすれば、なんて素晴らしい国なんだろうと思う。
そして同時に、それを「思い出」と名付けてしまうのはあまりにももったいないと思った。これは旅行でもないし、思い出でもない。冒険という名の宝物が詰まった、小さな宝箱だったんだと。
旅に出る意味は、自分だけのガイドブックを作ること。誰かが作ったガイドブックを見ながら、自分にとって価値があるものを選んでいく。自分の足で見つけにいく。そうやって、自分だけの旅を創っていく。だから、旅はいつだって、冒険という名の宝物になるのだ。
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