パソコン
僕の家は決して貧乏ではなかったが、かといって裕福という訳でもない、ごく普通の「とうちゃんかあちゃん」家庭だった。
世の中はバブル経済だったと思う。テレビやラジオから流れる音楽も、太いメロディラインを持った商業的に売れそうなポップで明るい感じの歌が流行っていた。
当時、特に男子の間でいつも話題にあがっていたことと言うと、やはりファミリーコンピューター通称ファミコンだった。家庭用ゲーム機なのに当時のパソコン並みのCPUを積んでいて、さらに本体価格が1万円台。おまけにそれまでデータの読み込み手段として主流だったテープやフロッピーディスクのようなギーガ―音もエラーも発生しないロムカセット形式だった。
あのマシンを一万円台で売るという任天堂の自信。それまでもゲームウォッチなどで稼いではいたがやはりそれは子供向けのみだった。コンピュータハードの急速な発展とソフト開発会社をも巻き込んで、一気にファミコンをブームにのし上げ、ゲームを時代の主役に躍り出させたのだ。
父親は決して厳しい方ではなかったが、僕の家庭ではゲーム機と言われるものを買ってはいけないという取り決めがあった。取り決めというとやはり厳しく聞こえるが、僕が何十回も「ファミコン欲しい」とお願いしても、父は「目が悪くなる」「勉強しなくなる」と言って聞く耳持たず、結局は買ってもらえなかったし買うこともできなかった。それにどういう理由があったのかはいまだわからない。
が、しかしその時、僕はいいことを思いついた――ゲーム機でなければいい。世間一般的に「ゲーム機」と呼ばれていたファミコン、セガマークⅢ、PCエンジンなど、でなければいいのだ。つまり「パソコン」でゲームをすればいいじゃないかと。
当時、ベーシックマガジンというパソコンオタク向けの雑誌があった。電波新聞社という今や伝説とも言えるような名作アーケードゲームを、次から次へと家庭用パソコンX68000に移植していった会社だ。その出来がハードに大なり小なり依存してしまうのがゲームソフトであるが、30年近く経った今でも十分プレイできるくらいの完成度の高さを誇っていた。
音楽で言うと、あの坂本龍一が所属していたYMOのテクノポリスに匹敵するくらいの、無機的だけれども何かわくわくさせるような、そんな未来を感じさせるものだった。
本当はその極めて優秀なX68000というパソコンが欲しかったのだが、ウン十万という中学生が手の出せる金額ではなかった。それにとりあえずゲームがしたいという気持ちも先走っていた。いや実はゲームがしたいというより、友達の話題についていきたい、そしてあわよくばパソコンに移植されたマニア向けな高尚な感じのゲームもプレイしたい、そういう気持ちがあったのかもしれない。
その頃の子供にとってエロ本やエロビデオを入手するのも困難だった。現代のネットのようにすぐ手に入る世の中ではなかったし、その中でもビニ本と言われた局部をある程度は露出したエロ本の入手とそのやり取りは、幼心にかなりドキドキする瞬間だった。僕らは悪いことをしているんだという罪悪感もあったし、先生にバレたらその後どうなるんだろうという緊張感もあった。
そして僕は、あの頃にパソコンを購入することによって、ひょっとしたらちょっとエロいゲームくらいは出来るかもしれない、そうも考えていた。しかし実はそれくらいのエロゲームですら、入手するにもやはり18禁という試練が待ち構えていたことは知らなかった。
こういう時に使えるお金というと、普段のお小遣いを貯めたお金や、貯金してあるお年玉だったりするが、僕の家ではそのお小遣い制というものを取っておらず、何か必要な物があればその都度お願いして買ってもらうという、なんとも親の都合の良い制度を採用していた。
なので残りの選択肢としては貯金してあるお年玉であるが、それも曲者で、いくら僕名義の銀行の通帳とはいえ、そのハンコと通帳を管理していたのはやはり親だ。おそらく僕が成長したときや、何か必要な時のためにと取ってあったのだろうけども、今やそれがどこに行ってしまっさたのかさえ分かってないと思う。
結局、パソコンを買うにも親の「承認」と「お金」を得なければ、手の届かない存在となってしまう。そしていつもならそこで諦めるはずの僕が、このときは違った。
どうしてもゲームがしたかった。
あのとき単にゲームをプレイしてみたいというのではなくて、パソコンでゲームを作ってみたいなどと思っていたら、今頃あのイーロンマスクみたいになれていたかもしれないと思うようにしている。でなければ今の自分が妙に情けなく感じるからだ。
プログラマーになるきっかけとして、パソコンで自作ゲームを作ってみました、そしてベーシックマガジンのような雑誌に投稿してみました、などというサクセスストーリーをよく耳にしたが、当時マシン語とかのプログラムは、いわば「オタク」とか「ウィザード」のような人種がするようなもんだという認識があった。なのでそれを電気店の店頭でしか触ったこともない僕にとって、そんな高級な言語を使いこなすことなど到底無理だと思っていた。実際に本の中にある一般の人が投稿したゲームのプログラムを見ても、ちんぷんかんぷんだったことを覚えている。後でそれらを手で入力して「動かす」ことぐらいしか僕にはできなかった。
僕は、朝早く起きて新聞配達を始めた。
当時はパソコン通信とかアマチュア無線くらいしか離れた者同士で連絡する手段はない時代。もちろんインターネットという概念も世間一般に浸透していない時代で、情報を得るための主たる手段は、やはり新聞だった。
近所の家のほとんどが新聞を取っていたので、商店街とか家が密集している通りをジグザグに駆け巡り新聞をポストに入れるだけだ。早朝に起きなければいけない、決して起き忘れるということをしてはいけない、という点を除けばさほど苦にならないバイトだった。
ある日、決心した僕は両親にパソコンが欲しいということを伝えた。本当は一大決心のつもりだったがそれとなく伝えたのは、あまりにも欲しい欲しいと言って妙な勘繰りを避けるためである。
こっちにはゲーム機ではないパソコンを勉強のために買うという大義名分がある。おまけに自分で稼いだお金だってある。あとはこの目の前の父の了解を得れば、僕は晴れてパソコン所有者となれる。そしてパソコンを勉強するという名目で、いつでも思いっきりゲームができる――やった。
そしてとうとう手に入れることができた。僕が初めて買ったパソコンは、富士通のFM-7という機種だった。
ゲーム機とは違ってその値段も大人向けで、もし新品を買ったとしたら10万円を超えるくらいのものだが、僕はそのときはゲームをするということにこだわっていたので、多少なり他人の手垢のついたパソコンを購入することに躊躇しなかった。結局、僕は中古のFM-7を購入した。
近くに中古パソコンショップなんかなかったので、ベーシックマガジンの後ろ側に掲載してある広告から、田舎の子供にも優しそうなお店を選んで電話した。もちろん、ちゃんとパソコン機体の値段表がついているお店を選んだ。
晴れてパソコン所有者という肩書を手に入れることが出来た僕だったが、パソコンを購入してから、はっと気付いたことがあった――モニターがないではないか。
実は、パソコン本体の購入にばかり気を取られていて、パソコンを使うためのモニターのことを忘れていた。
さらにパソコンの説明書を眺めていて気付いたのだが、このパソコンには、フロッピーディスクが付いてないということを初めて知ったのだ。モニターに関してはうっかりミスであったが、パソコン本体にフロッピーが内臓してないことを知らなかったのは明らかなミスだった。
なるほど、だから安かったのか……僕はまんまと商売に乗せられたのだと思った。しかし東京の秋葉原まで電話して、フロッピーがついてないから返品しますなんて小心者の僕には怖くてできなかった。これだとせっかく頑張って新聞配達で貯めたお金も無駄になってしまう。
悩んで出した結論は、家に使わずに置いてあった年代物のカセットテープレコーダーを記録装置として使ってみることだった。そしてモニター代わりにパソコンからコンバータを介して普通のブラウン管テレビに繋げた。そうすればパソコン専用のモニターがなくてもなんとか画面を見れた。結局、専用のコンバータも同じ店から通販で購入した。
そして――やっとというか、念願のゲームをする日がやってきた。
記念すべき初めてのゲームに選んだのは「ウイングマン」。友人から貰った物だった。ただ、気になることにパッケージの裏に「×」が書いてある――何でだろう?
ウィングマンは、当時はやっていた漫画をゲーム化したものだったが、特にその漫画が好きという訳でもなかった。とはいえ「タッチ」とか「みゆき」とか、歯がむず痒くなるようなセリフ連発の漫画よりは好きだった。
主人公とその他大勢の露出度の高い水着のようなコスチュームを着たキャラたちが、いくらアニメの中とはいえ、蹴られ殴られ苛められるのだ。あの時代に現代のようなコスプレを導入したパイオニアだったのではと、今となっては関心してしまうのだ。
そして当時の僕にとってそれはもう変な興奮を覚えるのは間違いなかった。だが悪く言うと、ストーリーよりもそっちの描写ばかりに目が行ってしまうことで、そのストーリーはぜんぜん思い出すことができない。
そして――僕はパソコンを起動した。
すると変なベーシックが起動した後にさくっと止まってしまった。そして何かカーソルが点滅しているだけになった。
僕は日ごろからベーシックマガジンを読んで研究していたので、次に何をすればいいか分かっていた。プログラムをロードするためのコマンドを打ち込んでみた。パソコンの横には、ウィングマンのプログラムテープがテープレコーダーに入っており、いつでもロードの準備万端とばかりにスタンバイされている。
しばらくしてテープレコーダーのロードが始まったようなので、同時にテープレコーダーの方の「再生」ボタンを押した。このテープレコーダーは本来、ラジオを録音したりカセットテープの音楽を聴くためのもので、パソコンのデータを読むためのものではない。
10分くらいが経過して、ローディングの文字や、上のベーシックのいろいろが消えた。
「きたっ」
僕は期待に胸を膨らませた。
そして画面にウィングマンのオープニング画面が出た。
念願のゲームがこのパソコン上で出来る。おまけにこのすばらしいグラフィック!
なるほどまるでアニメの描写そのままパソコンで映し出しているようで、キャラの動きを得意とするゲーム機とはまた趣が異なる。
そして僕はリターンキーを押して、次の画面に移動した。
カコッ。
パソコンからテープレコーダーを読み込む音が聞こえた。僕はあわてて再生ボタンを押した。
10分くらいが経過した。
スタート画面から動かなくなり、どのキーを押しても反応しなくなってしまった。
「ありゃ」
僕は仕方なくパソコンを再起動した。
そしてまたロード。ギーガーギー。
エラー。
そのあと、何度やっても同じことの繰り返しだった。たまにロードが完了しても、次の画面のロードでまたエラーが出る。
アドベンチャーゲームで1画面出すのに10分程度かかり、なおかつ2回に1回くらいの割合でロードエラーが出る。うむ、それではゲームどころではない。
しかし、ロード、エラー、ロード、エラーを繰り返すうちに、奇妙な現象が起きた。 しばらくロード中の画面が続いた後に、
「Hello, World!」
※ 部分的にフィクションです
(パソコンの機種・年代等、実際と多少ずらしています)
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