気を使い合うよりも助け合う
「あっ。いいよいいよ。やっとくから」
「あー。大丈夫。あとは任せて」
「それいいね!」
仕事でも夫婦でも友達でも気遣いは大切だ。物事を円滑に、そしてストレスなく進めるには、お互いがお互いの気持ちや考えを理解する必要がある。
コミュニケーションは双方向でなくてはいけない。
キャッチボールのように投げて、受け取って、投げ返してを繰り返す。
これがどっちかがピッチングマシーンだったら大変だ。
受け止めて投げ返しても、ガツンとぶち当たってシーンと終わる。
だけど気遣いを通りこして、気を使いすぎると今度は余計な疲れとストレスが生まれる。
キャッチボールをしていてる際、こちらは相手が取りやすいぐらいのスピードで球を投げているとしよう。キャッチボールはドッチボールではなく球を投げ合うのだから、当然取りやすい球を投げるものだと思っての行動だ。
と思っているのに、相手はこれでもかと全力投球で投げてくる。
意図が分からない。
「これは何か意味があってのことなのか?」そう思いながら、受ける手はミット越しにも痛いし、力が入りすぎてコントロールもぶれているので、どこに飛んでくるか予想が難しい。
だけど表面上は「大丈夫」とか「いい感じ」とかいって、その場のキャッチボールが終わらないように気を使っている。
これでは全然楽しくないはずだ。
そのうち、キャッチボールをしなくなる。
キャッチボールで例えているので、このケースだと「痛いし取りにくいからもっと取りやすいように投げてよ」で終わりかもしれない。
だけど現実のコミュニケーションで起こっている状況はもっと複雑だ。
なかなかその一言が言えない。そして疲れる。
その気持ちはめちゃくちゃよく分かる。
こうして欲しいって相手に要求するのか。
こうして欲しいのかなって相手のことを思いやるのか。
はたしてどっちがいいのか。
答えはきっと、ケースバイケースでこれというのはないだろう。
僕は性格上、相手に「こうして欲しい」が言いにくいタイプなので、こういうタイプの人ほど、もっと主張した方がいいと思っている。
だけどただ思うだけじゃ結局悩むだけ。
だから考えた。
苦手なことを我慢しながら行動するのじゃなく、思考を変えることにした。
気を使うのではなく、助け合う気持ちを持つこと。
世の中には、誰かを助けたいと思っている人は意外と多い。
言ってみれば自分もそうだからだ。
名指しで「助けて」と言われたら動かずにはいられない。
だけどこのご時世、よかれと思って動くと大変なことになることもある。だから助けるには相手の明確な「助けて」のメッセージが必要なのだ。
だから自分から「助けて」とメッセージを送らなければ相手は助けてくれない。
相手に配慮して振る舞うのが大人だと思い込みすぎている気がしていた。
助けを求めるのは子どもだと。
だけどそうじゃない。
本当に危機が訪れたとき、プライドを取るよりも助けを選択して生き残れる人の方が強い。
もっと多くの人が「助けられ慣れ」した方がいいと思う。
助けてが普通に言い合える環境なら、もっと言いたいことが言えるんじゃないかな。そうすれば、色んなことがもっと上手くいくような気がする。
そう思うのは僕だけだろうか。