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大丈夫だけじゃ助けられない

「いいよ。大丈夫。」

時と場合によるけど、不安や悩みを抱えた人に対しするその発言は、優しそうに見えて優しくない。

時にはその瞬間相手を傷つけてしまうかもしれないけど、その人が本当の意味で大丈夫になれるようにするためなら、支える人として必要なことだ。

いいよ大丈夫。という発言は、相手を安心させるためではなく、自分を安心させるためになってはいけない。

でもそれはとっても辛いこと。支える人にはさらにその人を支える人存在がいないこともある。だから自分が倒れたらみんな倒れるって思っている。

だから頑張るんだけど支える人だって同じ人間だから同じように悩むし、一歩間違えば、その人も壊れる可能性が無いとは言えない。

誰も悪くないのにみんな傷つくなんて誰も望んでいない。

こういった悩みはまともに受けすぎないことが一番だと思う。だって、何か大変なことが起きたって、死ななければなんとでもできる。

何か失敗した、傷つけた、時間はかかっても行動しつづけることで環境は変わっていく。例え一つの物事が完結しなくても、同時並行で新しいことをスタートさせることはできる。

人の不安や悩みといった心の問題は、突き詰めていけばほんとに気に持ちようなんだ。ただ、それが上手くできないから悩む。

極論、記憶がなくなれば治るのだろうか。人格を形成しているのは過去の経験だから、記憶がなくなればある意味別人になる。

そんな都合良く、嫌な思い出だけ消せればいいのに。

だけどそんなことは無理だってわかっているから、嫌な思い出を塗り替えられる程の嬉しい、楽しい、そんな笑える経験をたくさんしたらいいと思う。

「いいよ大丈夫。何も怖くないよ。」とその場の不安を和らげるだけじゃなく、そんなことがあってもそれ以上に楽しいことがあれば、一緒に不安にならなくても楽しさで忘れられる。

ごまかしじゃ無くて本気で、悪い記憶を良い経験で塗り替えたいと思う。

過去と向き合うことだけが選択肢じゃない。過去は動かないから、もっともっと時間を空けて、遠く遠くに置いてきぼりにして、そこではじめて双眼鏡で向き合ってみたっていいじゃないか。

向き合う準備と環境が整ってから向き合えばいい。それまでは戦略的保留にしよう。

大丈夫だけじゃ助けられない。
欲しいのは未来への安心や期待。

不安を感じる人に必要なのは、不確定な未来へのより強固な安心。

それを作るのは大丈夫の言葉じゃなくて行動だ。

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