人間の深みとは具体性である

深い人間が好きだ。簡単に「エモい」なんて言わない人。その人にしかない世界を持っている人。

浅い人間は嫌いだ。休みの日に何をしてるか訊くと、たいてい「寝てます」と答える、つまらない人間。実際にはSNSとYoutubeを往復し、ちっぽけな娯楽を消費し続けて生きてる。それが何を見ていたか具体的には思い出せない。人生に野望の無い人。多くの収入はいらない、この生活のままジジババになってもいいやと思っている人。社会のせいでもある。休むだけで精いっぱいの人もいる。

俺もそんな日がある。だから、すこしは同族嫌悪的にきらいだ。だけど、そこから脱しようと、「何か」をして一日を過ごそうとしている。今日はこのnoteを書く。

そんなふうに、俺は人間の尺度を浅いか深いかで判断していた。浅い人間は軽蔑するし、深い人間は尊敬する。しかしながら、その人が浅いか深いか、どう判定するか自分でわかっていなかった。ぼんやり決めていた。

4月である。新しい環境では、自己紹介することが多くて疲れる。人間はたった一言二言では表現できないのだ。人の自己紹介を聞いて気づく。深いってのは具体性があるってことなんだなあ。

趣味:映画鑑賞 これではだめだった。反省。具体的にタイトルを述べる。どんな監督が好きか、どのシーンが好きか、なんで好きか。いつどこで、何がきっかけで。どうせ相手は知らない映画だろうと思って、放棄してた。

鮮明に伝えるべきだった。ひととおり喋って、「ふーん」と返される。それでよかった。波長の合う人ならば、聞いてくれるから。「ふーん」と言われたくなくて、流してしまった。

具体性があると、その人の行動が想像できる。転じて、人となりがわかる。人生がわかる。そのうち、この人ならここでこうするかもな、なんてことまでわかってくる(しかしながら、それはほとんどの場合はずれる。だから面白い)。それが人間の深みなのかもしれない。

だから俺は言う。

はじめまして、ほとんど三宅マンが好きです。これからよろしくおねがいします。

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