僕とネットと新聞と
ネットが普及して久しい。23年前の僕は、19歳で大学1年生。windows95搭載のデスクトップPC(モニターはCRT)が研究室に1台。僕とネットの出会いは、ここから始まった。
googleがまだメジャーではなかったころ、検索や情報収集と言えばyahoo!だった。お昼には回線が混み合って、まともにサイトが見られないなんてこともよくあった。チャットや掲示板、個人が作るウェブサイトなんてものもはやっていた。
当時も今も、HM/HR(ヘビーメタル/ハードロック)が大好きでよく聴いているが、個人のファンサイトをのぞくのがとても楽しかった。掲示板に書き込みをしたり、den8とかいうソフトを使ってメールのやりとりなどもしていた。おかげで1年時は、通年講義九つ分の、たった18単位しか取得できなかった。
書籍は電子化、買い物もネットで、音楽はデータ配信、若者のテレビ離れも然り。インターネットとそれにまつわるものの発達が、サブカルチャーも含めた生活・文化そのものに大きな影響をもたらし、その影で多くのものが衰退している。新聞も例外ではないだろう。
地方紙に文章を載せていただくという経験を経て感じたことは、それを「ひと」が創っているということ。KさんやF記者との出会いにも触れたが、地元を愛し、地元のためにという気概や熱や優しさを感じた。それらは、ネットニュースなんかからは、感じることができないものだ。
学習塾の業界にも、AIを交えたカリキュラムや映像授業が普及してきている。予備校の世界では、ずっと前から当たり前のものだ。教育業界にも変革がもたらされ、街の小さな学習塾も粛々と無くなっていくのかもしれない。
それでも僕は、「ひと」と「ひと」との血の通ったやりとりで、飯を食っていきたいと、強く思っている。地方紙が報じる、小さなニュースのように。地方紙を創る、熱い「ひと」たちのように。
石巻かほく 2020年3月29日(日)号 つつじ野 より
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