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叱ってやりたい

 村上春樹とポール・オースターの比較文学論…で卒論を進めていたが、学習塾のアルバイトにずぶずぶだった僕は、大学4年時の年末年始も朝から晩まで、受験生に向けた授業の予定が入っていた。思うように卒論を書く時間が確保できず、かの村上春樹のパートをばっさりとカット、リポート用紙たった18枚の卒論を年始に提出した。「怒髪、天を衝く」とは、その時の彼を言い表すためにある言葉なのだろうと思えるほどに、彼は、僕を叱った。


 前任の教授がどこか都会の私大に引き抜かれてしまい、新任としてやってきたのが、当時29歳の彼だった。「宮教大行き」という市バスの行先表示を見た彼は、その「みやきょうだい」ということばの響きから「宮兄弟」を連想したようで、「僕にとって宮教大の第一印象は、ぴんから兄弟である」との文章を広報誌で目にしたとき、何故だか僕は、まだ会ったこともなかった彼のことを、一発で好きになってしまった。


 それでも彼は、卒論の手直しのため、僕のようなできの悪い学生のためにちゃんと時間を割いてくれた。実家が魚屋であること、好きな作家嫌いな作家、ためになることもならないことも、「たくさん」と言えるほどではないが、話をした。


 彼の訃報を聞いたのは、僕が社会人1年生のとき、冬のはじまりというよりは、秋の終わりの時期だったように思える。どうやらうつ病を患っていたようで、薬と酒を併用し、帰らぬ人となったと聞いている。新幹線に乗り込む直前の、遺骨を持つ彼の父にご挨拶をしたのを、今でも覚えている。


 42歳になった僕は、彼の年齢をとうに越えてしまった。それなのに、何故だかふいに、彼に叱ってもらいたいと思うときがある。今度会ったら、礼を言いたい。そして、今度は僕が、彼を叱ってやりたいと思う。
(鈴木 喬)

石巻かほく 2020年2月9日(日)号 つつじ野 より

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