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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (91) 生活問題と細君問題-『折蘆書簡集』より
明治42年7月に文科大学を卒業した中先生はこの年の秋から病気になり、
そのまま年をこし、明治43年の晩春初夏のころから秋にかけて小田原の黄夢庵で養生の日々を送っていました。その中先生のもとに山田さんからの手紙が届きました。日付は9月8日。大阪からの手紙です。
第164書簡
大阪より相州へ
中勘助へ
《気にしておいて御無音した。其後あつかつたので元気が少しもなかつた。小説ばかり読んで居た。君は幸福に見える。幸に清く日をすごされん事を祈る。仏徒になれるといふのは有り難い事だと思はれるが人には何ともいひ得ない。黄夢庵の方々によろしく申上げてくれ。
ツルゲネフは彼の小説の中によく出て来る好い娘をもつて居る。》
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1,264字
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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