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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (48)  死にたいけれ共後にのこるものに悲を遺して置くのが嫌だと君はいつた

第20書簡の続き。
《昨日北島と須磨へ行つて病人を訪問した。景色が面白かつた。此間に昼飯を食つて而て郵便入を見たら安倍から手紙が来て居た。それを読んで今又此手紙を続ける。
 あの辺の河はみな床が高くなつて田地よりは二丈程も高い所がある。涸れた川床に立つて一直線に川が登つて居る向ふの山や其上に掛つて居つた夕焼のさめかかつた雲やをながめながら僕は歌つて居つた。

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1,923字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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