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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (63) 播州須磨と播州阿閇

 第63書簡の宛先は中先生で、山田さんはこれを11月5日夜、6日夜、7日夜、9日夜、10日と書き継ぎました。11月10日の文面に、「僕も入院してから十二週間八十二日目になつた・・・」と書かれていて目を引かれます。11月10日で82日目というのであれば入院した日は8月21日であることになります。それでもう一度時系列を顧みると、山田さんが中先生に宛てて8月某日の第52書簡を書いたとき、山田さんの所在地は播州阿閇です。8月某日というのは第51書簡の日付の8月7日よりあとで、中先生は第52書簡を東京で受け取り、それから山田さんを訪ねて大阪方面に向かいました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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