『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (85) 研究科と大学院
中先生の大学時代は明治39年9月から明治42年7月までの3年間ですが、この時期の中先生の消息は山田さんの書簡を通じてごくわずかにうかがえるだけで、ほとんど何もわかりません。卒業にあたって卒業論文を提出したはずですが、その題目も不明です。この時期、中家には重い出来事が相次ぎました。大学に進んでまもない明治39年の秋10月には父勘彌が亡くなりました。大学3年生の年の明治42年の年初の1月には末子さんの父野村子爵が亡くなり、葬儀のために福岡から上京した兄金一が脳出血を起して障碍を負い、勤務先の福岡医科大学は休職を余儀なくされました。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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