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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (16) 予備試験に応じる
予備試験にもまた受験資格が付随していました。まず年齢が17歳以上であること、次に品行方正であること、それから「現に中学校に在学していないこと」が必要でした。明治35年の時点では小学校は尋常科と高等科の修行年限がそれぞれ4年間です。満6歳で尋常小学校に入学し、4年間の課程を修了して高等小学校に進み、第二学年まで修了すれば満12歳になります。この段階で中学校の受験が可能でした。中学校に進み、5年間の課程を修了して3月末日に卒業すれば、その時点で満17歳です。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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