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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (49) 手紙を待つこころ
第22書簡を書いた日の翌日、山田さんはまた中先生に手紙を書きました。なぜ手紙を寄越さないんだという言葉とともに始まる手紙です。
山田さんの手紙
第23書簡
明治37年8月21日
大阪より東京へ
中勘助へ
《中、なぜ手紙をよこさないんだ。此間北島と須磨へ行つて帰りに汽車の中で、内へ帰ったら安倍からか中からか手紙が来てゐるだらうと思つて居たに両方とも来てゐなかつたのでがつかりしたといへば間違つて居る。只落胆した。がつかりしたのは昨夕だ。昨日は一日浜寺に居たが、朝出掛けに君への手紙を入れた。一日物を思つて居た。君の事も考へて居た。今夜は中から屹度便りがあるに違ひないと定めてゐた。帰つてほんとにがつかりした。がつかりしたといふのは胸の音だよ。今朝は予期して居なかつた。手紙が着いたと起されたので見たら果して外のだつた。何だらう僕を度々がつかりさせるのは。病魔か旅行か。どつちにしてもをかしいね。悲観してゐるんだらうか。それもをかしい。どうしたんだらう。あらせいとうの画がかいてあるといつたね。まだ机の引出しに入つてゐるのか。僕の此間の手紙はまだ封のまゝなのだらうか。何だか知らないが或事件があつてそれの片が付くまで待つてゐるのかとも思ふが、それにしてももしさうなら其事件とは何んなものだらうか。》
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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