『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (90) 信州野尻湖へ
野上豊一郎は明治16年9月14日に大分県臼杵に生れました。臼杵中学から明治35年に第一高等学校に進み、中先生、山田さん、安倍さんたちと同じ英法科文科の同級生になりました。文科大学では文学科に所属し、中先生の1年前の明治41年にイギリス文学を受験して卒業しています。卒業後は研究科に在籍しつつ国民新聞社の文芸記者になり、翌明治42年、法政大学の講師になりました。臼川という号は出身地の臼杵からとられています。
ここから先は
1,141字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?