『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (93) 如何にしてパンを得るか
明治42年8月16日付の田中きゑ子さんに宛てた魚住の手紙の紹介を続けます。田舎の中学の教員になるなどというのは学問を捨てるのと同じことだという考えで東京に留まろうとすると、如何にしてパンを得るかという問題に直面してしまいます。東京で生活費を得るというだけのことであれば種々策を講じるのは不可能ではありませんが、研究のための十分な余暇をも望むとたちまち至難の問題になり、ここに悩みがありました。そこで魚住は当面は郷里の兄の援助を受けることにして、気の毒でもありよい気持ちはしないけれども9月からの生活費はこれまで通り兄に負担してもらうことにしました。生活問題は「この姑息な緊急手段」によりひとまず乗り切るとして、もうひとつの結婚問題も魚住の心を占めていました。ただし、この問題は別段さし迫ったことではありません。田中きゑ子さんは上州碓井の人で、魚住より2歳年長の信仰を同じくする親友です。
ここから先は
895字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?