『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (115)『山田又吉遺稿』
大正3年の秋10月に東京にもどった中先生は再び真如院に滞在しました。「孟宗の蔭」を読み進めていくと、大正5年5月27日の記事に続いて現れるのは9月28日の記事で、この間に4箇月ほどの空白があります。中先生は再び信濃追分に転地していたようですが、この時期の詳しい消息は不明です。9月28日の記事の次は年が明けて大正5年になり、1月14日の記事があるだけです。「孟宗の蔭」はこれで終りです。
大正4年の秋口から翌大正5年の春先までの間の特筆に値する出来事は山田さんの遺稿集『山田又吉遺稿』が編纂され、刊行されたことでした。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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