見出し画像

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (38) 中家訪問

山田さんの第5書簡の宛先は安倍さんです。

第5書簡
明治37年7月12日
大阪から京都へ
安倍能成へ
《此間奈良では一汽車待てば宜かつたに、汽車に乗つてから何だか物足りなかつた。汽車で居ねむりしなかつたか。僕は随分ねた。あの写真毎日眺め居り候。右のみ。》

山田さんと安倍さんはいっしょに奈良に出かけた模様です。

ここから先は

2,102字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?