脚本家 × 作詞家 × 漫画家 × アナウンサー 対談⑦ 憧れから夢を叶えるまで〈後編〉

エンターテインメントの仕事したい拘りと簡単には上手く行かない現実について〈後編〉


逃げて逃げて逃げた先に脚本がありました。脚本家:小山正太

小山:僕は、小学生の頃はアニメが好きだったので声優になりたかったんですよ。その頃、声優さんはアイドル化している時代で、自分には無理だと思って中学生になったときくらいには声優への道はパサッと切っていました。でも、母親が日芸の放送学科のラジオ制作コースの出身だったので、なんとなく表現者にはなりたいと思っていて日芸には行こうとしていたけど、何になりたいのかは分からないままでした。ドラマだったり映画が好きだったりする中で岩井俊二さんの『Love Letter』を観たときに監督になりたいと思ったのですが、日芸の監督コースは倍率が高いので無理だと思って、脚本コースは倍率が低いので脚本コースを選びました。脚本は、書いていてなんとなくいいなと思っていたのですけど、大学に入ってから学園祭の実行委員などを経験するうちに人を動かすってこんなに楽しいんだと気付いて、広告代理店の営業マンになりたいと思って就活を始めました。しかし、就職活動で上手く行きたいと思っていたところ駄目で、大学院に進学してもう1回挑戦しようと思ってそれでも駄目で…。大学院2年生の最後の方のときに最終面接で愛虹さんと同じように「君、脚本家になりたくないの?」と聞かれたんですよ。

 

高瀬:おお~! 私と一緒?

 

小山:最終面接でどうしても採用を取りたいという人生の一大事で「君、日芸の脚本コース出身で眼鏡も掛けているし、(卒業生の)三谷幸喜さんみたいになりたくないの?」と言われて、人生の一大事になんでこんな質問をされているんだろう、営業になりたいと言っているのに……と思ったけど、でも言葉に心が乗らないところがあって、帰宅して親に「僕、脚本家になります」と伝えました。フジテレビのヤングシナリオ大賞のことは元々知っていて、就活していたときにフジテレビのインターンシップにも行っていたのでフジテレビと相性がいいんじゃないかと思って、フジテレビをメインにシナリオの賞へ出しまくろうと決めました。募集要項を見たら1人1作品までと書いてないので13本くらい出せば通るだろうと思って、いっぱい投げて数撃ちゃ当たるでなんとかデビュー出来た感じです。僕も愛虹さんと一緒で安定志向なので就活でなんとかしたかったんですけどね……。色々逃げて逃げて逃げた先に脚本がありました。

 

高瀬:そうすると、脚本家になりたいと思い始めたのはいつになるんですか?

 

小山:在学中も脚本家が上手い人にはなりたかったけど、脚本で食べて行こうとは思っていなかったですね。サークル活動の方が楽しかったので。でも、心の中でずっと思っていたんじゃないですかね。岩井俊二さんの『Love Letter』が好きだったのも構造だとか脚本的なところで惹かれているので。もしかしたら、「絶対脚本家になって、世の中を感動させてやるんだ!」と思った瞬間はないのかもしれません。もちろん、なろうと決めてからは愚直に頑張りました。

 

村田:ヤングシナリオ大賞を取ったときは嬉しかったですか?

 

小山:怖かったです。

 

村田:怖い?

 

小山:前年度に最終候補まで残っていてそのときは、嬉しかったです。最終選考まで残ったら、次は大賞と佳作しか残っていなくて。次の年にも無事に最終選考まで残ったと電話が掛かってきて、その中から大賞や佳作を決めるまでの期間は、「どうやったら大賞が取れるんだ…佳作でもいい。佳作!佳作!頼む!」というように、これで駄目だったらこの先、人生に何もないぞと帯状疱疹みたいなのが出来ながら人生最後のチャンスだと待っていたら、発表より前にフジテレビのプロデューサーさんから「ドラマを作りませんか?」と連絡が来ました。打ち合わせに行ったら企画書を見せられて、脚本家の欄に“大賞・佳作W受賞”と書いてあって、「これは何かな?」と資料を閉じました。大賞も嬉しい…嬉しいけど、嬉しさよりもヤングシナリオ大賞初の大賞・佳作のW受賞をしたことにプレッシャーしかなかったです。

 

高瀬:私もここで何とかしないと自分の人生どうなるんだというのは常に思っていたので、そういう気持ちは凄く分かります。

 

小山:怖いですよね。特に就活時期とかは恐怖でしかなかったです。

 

高瀬:うーん、私は就活中より卒業してからの方が特にそうでした。

 

小山:あぁ…確かに周りは働いていますからね。

 

高瀬:脚本家も漫画家も同じだと思いますが、目指している間や少しずつ上手く行き出してからもサラリーマンではないから、職歴もつかないわけじゃないですか…。もう結果を残すしかないよね? どうしようじゃなくて、何がなんでもどうにかするしかない!と自分に言い聞かせていました。

 

小山:僕ももう引き下がれないところまで来ちゃったって思っていましたね。


落ちても落ちても次へ次へというように前を向かせてくれたから、諦めなければなれるのかなと思えました。アナウンサー:平井久美子

平井:私は、たまたま放送部に中学生のときに入っていて、NHKの放送コンテストで賞をもらって、それより前から野球も好きになって、スポーツが好きだけど運動はできないのでどうやったらスポーツと関われるんだろうと考えて、スポーツのアナウンサーになりたいなと思いました。中学、高校と6年間放送部だったんですけど、やっぱり私も安定志向で……。だだ、漠然と東京に行きたいと思っていました。テレビも好きだったので。アナウンサーは出身学部が様々なこともあって、興味があった色々な大学の資料を取り寄せていました。その時にたまたま日本大学の芸術学部を見つけて「こんなの勉強できるんだ。凄く楽しそう」と思って受けてみたいと思いました。実は、日芸は第一志望ではなかったんですが、今は入学して凄く良かったなと思っています。受験をしたときは、テレビの中の世界って「どんな人がいてどのくらい人が関わっているのだろう」とよく分からなくて……。アナウンサーになりたいというのは大前提としてありましたけど、制作や脚本とかの仕事もちゃんと見てから見極めたいと思っていました。実際に面接でもそう答えた覚えがあります。ただ、入学後もやっぱりアナウンサーになりたいと思いました。それで今の事務所の人を紹介してもらって、在学中にそこのアナウンススクールに行くようになったんです。

 

高瀬:同じラジオ番組の制作サークルで凄く印象に残っていることがあるんですけど、サークルへの勧誘期間1日目が雨で、すべてのサークルが青空のもとで一斉に行う”机出し”という勧誘活動が出来なくて、食堂でプラカードを持ちながら勧誘して、そのまま平井さんを部室に連れていって、こんな感じのサークルなんだと説明したら一緒にいた他の友達に合わせることなく、「私、入ります」と入部を決めたんですよ。アナウンス専攻というのは聞いていたので、ラジオで喋りたいからだと察したので、芯が強くて自分のやりたいことが凄く見えている人なんだなぁとそのとき感じました。

 

平井:それ覚えてないんですよね。愛虹さんの勧誘がついつい乗せられちゃう勧誘だったのかも。

 

高瀬:えー! ……こんなに即決して大丈夫なのかなと思って、「もっと他のサークルも見た方がいいんじゃない? 晴れれば明日から大体的な勧誘活動が始まるよ」と自分から勧誘したくせに一度引き止めました。大学4年間もだけど、選ぶサークルによって人によっては人生に大きな影響を与えると思ったので、本当にいいのかなって。それでも「大丈夫です。私入ります」と即答でブレなかった……。

 

平井:これは後々ですけど、アナウンスコースの先輩がいたのが大きかったのかもしれないです。その方はアナウンススクールに通っていたので、この方に聞けばアナウンサーへの世界は見えてくるのかもと。

 

高瀬:思い返せば、私も自分と同じ情報音楽コースの先輩がいたことが入部の決め手だったかも……。自分の夢が叶えられたのはなんでだと思いますか?

 

平井:師匠であり、今の事務所の社長の「絶対になれるから。大丈夫だから。絶対なれるよ」という前向きな言葉ですかね。私は、「本当に?」と凄く疑ったんですよ。ルックスとか学歴とか心配なことを全部言って「大丈夫ですか?」と最初に会ったときに何回も聞きました。それでも「大丈夫、大丈夫。日芸だったら、この人も日芸だったし、この人も日芸。業界には日芸の人がたくさんいるんだよ」など、ここでは言い尽くせないぐらいの前向きな言葉をかけてもらいました。夢のその先を意識させてくれたのも大きかったと思っています。レッスンの時「アナウンサーになってその後、生き残っていくためのスキルを身に着けるんだ」と言われたんです。私、アナウンサーになれるんだ、と自分に自信がなく心配性の私に自信を持たせてくれました。そこから書類、写真選考でいっぱい落ちたけど、化粧だったらこの人に習いなさいと色んな人を紹介してくれて、落ちても落ちても次へ次へというように前を向かせてくれたから、諦めなければなれるのかなと思えました。

 

高瀬:私もエレクトーンをずっと習っていて、小学生のときの先生に音楽の学校に行きたいと言ったら「あなたには無理」ということをやんわりと言われてしまって。でも中学校のときに習っていた先生は、「私もエレクトーンの先生になれないって言われたけど、なれたから叶えられるよ!」と言ってくれるような夢を応援してくれる前向きな先生で、人によってこんなに言うことが変わるんだとそのとき学びました。大人の言うことを真に受けてしまうところがあって、「なれない」と言われたら自分には才能がないから無理なんだと思ってしまうけど、1人の言うことがすべてではなくて色んな人の意見を聞いて物事を判断した方がいいと思いました。私も「諦めなければなれるかもしれない」という考え方もあるということをその先生に出会ってから持つようになりました。


日芸に入って良かった?

高瀬:私は、日芸に入って良かったと思っているのですが、みなさんはどうか聞きたいです。特に卒業してからの方が日芸の凄さを感じていて、業界に日芸卒の人が凄く多くて、プロフィールを調べて「私も日芸なんです」と声を掛けたり、逆に「私も日芸卒で高瀬さんと一緒です」と声を掛けられることもよくあります。同じ大学に通っていたというだけで親近感が沸くので、そういう意味で日芸を選んでよかったなと思っています。

 

村田:僕も日芸で良かったです。正直何を勉強したかよりは、出会いの運の方が良かったと思いますね。

 

平井:私も良かったと思っています。愛虹さんと同じく、中継の現場で「日芸だよね?」と初対面の先輩から声を掛けてもらうこともありました。人と人の繋がりって本当に大事ですよね。

 

高瀬:4人ともサークル活動や委員会活動していて知り合いがいっぱいいたのも大きかったかもしれないですね。

 

小山:僕は教わったことで活きたと思ったことがあって、教授に「社会派でカッコイイ作品が書きたいんです」と言ったときに、「お前は馬鹿でエロいんだから、馬鹿でエロい作品を書きなさい」と言われて、そのおかげで賞をもらえました。野球で言ったら「オーバースローからいきなりサイドスローに変えろ」くらいのことを話されて素直に信じてうまく行きました。そこは日芸に入って良かったなと思います。

 

高瀬:そもそもこの対談自体が日芸に入っていなかったら出来ていなかったわけで。作詞だったら音楽関係の知り合いは出来てもエンターテインメントの他のジャンルで働く知り合いはなかなか出来ないじゃないですか。それは他の大学ではないと思いますし、日芸の強みだと思いますね。


対談⑧へ続く


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