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高3の夏から勉強して、首席に近い点数で筑波に現役合格した話。

高3の夏に0から勉強を始めて、
筑波大学体育専門学群に、1207点/1400点中を取って現役合格した話。

僕らの一つ上の代(2023年度)の合格者最高点が1204点/1400点中なので、そのくらい高い点を取って合格しました。

点数の内訳。共通テスト約82%、2次試験90%で合格。

なぜ夏から勉強し始めたのか、なぜ筑波を目指したのかを知りたい人はこちらの記事を読んでください🙇‍♂️
こちらの記事でもどんな勉強をしたのかは大まかには書いていますが、今回はもっと踏み込んだ内容を書きたいと思います。

わからない人のために軽く説明すると、
体育専門学群の一般入試は
共通テスト700点&2次試験700点の計1400点満点の入試です。
2次試験では
実技①(400点)→自分が1番得意な種目
実技②(200点)→自分が次に得意な種目
保体論述(100点)という内訳で、
僕は実技①でサッカーを、実技②で柔道を選択しました。

【8〜10月】気合いと根性の三週間連続毎日12時間勉強。

7月末にベルマーレU-18を辞めて、8月から本格的に受験勉強が始まった。

「量より質」だなんて人は言うけど、
勉強において、僕はどうやって質を上げればいいかまだ分かってなかった。

だからひたすら量をこなした。
量をこなして、経験値を積まないと
質が上がらないと思ったから。

8月の最初の一週間は勉強に慣れなくてまだ量をこなせていなかったけど、
残りの学校が始まるまでの3週間は、毎日連続で12時間以上勉強し続けた。

学校が始まっても、量は出来るだけこなし続けた。
電車の行き帰り、自転車に乗ってる時、ご飯を食べてる時も、とりあえず勉強した。

そうやってとにかく量をこなしまくっていたら、10/22の模試が上手く行って、模試内の体育専門学群志望の中(700人弱いた覚えがある)で上から10番目の点数を取ることができた。(今考えると、めちゃくちゃ上振れしてこの点数を取れたと思ってる。)

芽生えた『首席』への想い。

勉強のやり方が何となくわかってきたこの時期から、僕はただ筑波に受かるだけじゃなくて、首席で筑波に受かることを目標にした。

理由はシンプルで、体育専門学群を推薦入試で入った人と同じくらい「凄い人」になりたかったから。
蹴球部でも他の部活でもそうだと思うけど、推薦入試で入ってくる人たちはスポーツの実績も実力もとんでもない人たちばかりだ。
当時の僕はそっち側の人にはなれなかったけど、
でもどうせ蹴球部に入った後にTOPでプレーして、プロになりたいと思ってるなら、彼ら彼女らと同じくらい「凄い人」である必要があって、『首席で筑波に受かる』ことはそれを証明する絶好の機会になると思った。

そうして、筑波の首席を目指す日々が始まった。

【10〜12月】『質』への切り替え。

上の行で調子乗った言い方してるけど、
10/22の模試以降長い間壁にぶつかった。
模試で点数が思うように伸びなくなった。

理由は明確で、夏休みが終わって学校が始まったのと、ちょくちょく2次試験対策でサッカーするようになってシンプルに勉強量自体が減ったからだ。
量だけこなしていた僕の勉強法に限界が見えてきた。

でもこの時期まで、たくさん量をこなしてきた事で、どうすれば勉強の質を上げられるかがわかってきたから、『質』にこだわる勉強法に切り替えた。

スポーツでも勉強でも変わらず、
質を高めるために重要なのは、大まかに言えば
『基礎の徹底』と『集中力を保つ事』だという結論に至った。
だからこの時期はポモドーロテクニック(25分作業して5分休むのサイクルを繰り返すやり方)を用いて基礎練ならぬ基礎勉を徹底して行なった。

質にこだわっていた時期は、基礎勉ばかりしていたからか正直あまり点数は伸びなかった。
でも、この時期があったからこそ、直前に点数が伸びて、最終的に共通テストは上手くいったんじゃないかと思う。

【12月~共通テスト直前】徹底した、『運』への対策。

12月に入ってから共通テスト本番までは、学校に行かず、サッカーもせずひたすら塾にこもって(冬季講習で朝から塾が開いていた)勉強するようになった。

夏休みのように量をこなせる環境になり、さらに学校に行ってた期間で勉強の質を高め方を知れたので、この時期は量も質も高いレベルで行う事が出来たため、成績が再び伸び始めた。


この共通テスト直前期にひたすら意識したのは
『運要素』を極限まで減らす事だ。

『運』が味方してくれれば...?

...

本当にそうだろうか?

(中略)

もしかしたら、僕が1番仮装に対して本気でやっていたかもしれない。

でも優勝は出来なかった。

結局、当時の僕の努力は、他の人の努力や運によって負けてしまう程度のものだったんだ。

自分の記事「サッカーバカな俺が体育祭で本気で優勝を目指した話。」より引用。

当時は高3だったこともあり、多大なる情熱を注いで、それでも『運』が味方に付かず優勝することができなかった体育祭の記憶や思いが色濃く残っていた。

もう二度と『運』に負けたくなかった。
だから、『運』によって失敗する可能性がある要素を極限まで減らした。

色々やったけど、その内の一つが「得意科目を複数持つ」ということだ。
共通テストは、出題者側が難易度調整を間違えて異様に難しい科目が出てくる時があって、もし運悪く自分の得意科目でそれが起こったら、得意科目で差がつけられなくなり、さらに「得意科目で点が取れなかった」という不安から本番で大崩れしてしまう可能性がある。

だから僕は得意科目を英語R、日本史、理科(生物基礎&地学基礎)の3つもっておいた。

それでも、不安だった。

直前になって、共通テストの過去問の合計点も80%(体育専門学群の平均は大体75%)を超えるようになってきた。
『運』に対する徹底した対策もあり、安定して点が取れるようになった。

それでも、すごく不安だった。

人生がかかった日が近づいてきているのを日に日に実感した。
サッカーのそれとは別次元の緊張だった。
もし共通テストで失敗したら、
筑波に受かることができなかったら、
浪人してまた1年間勉強しないといけない。
この勉強を、一年続けないといけないのか?
そしたら、サッカーのパフォーマンスはどうなる?
試合勘はどうなる?
その間に周りはもっと成長して、さらに置いて行かれるんじゃないか?
なにより、我儘な決断だったはずなのに、それでも応援して送り出してくれたベルマーレU-18のコーチや同期になんて顔向けすればいい?

本番に近づけば近づくほど、
そんな不安は大きくなって、
そのプレッシャーに何度も押しつぶされそうになった。

でもその不安を解消するには、
逃げずに正面から向き合って、
ひたすら勉強して、勉強して、勉強して、
胸を張って「俺なら絶対大丈夫だ」と言えるくらいやるしかないと思った。

だからやり続けた。
当日でもテスト開始直前でも関係なく、
1点でも多くとるために詰め込み続けた。
不安と向き合って、最後の追い込みを終えて、共通テスト本番を迎えた。

『運』に負けなかった共通テスト本番。

僕の共通テスト本番の点数は、このようになった。

国語 165/200
英語R 83/100
英語L 85/100
日本史 75/100
理科 94/100
数学Ⅰ 75/100
合計 577/700(筑波換算576/700)約82%。

まず真っ先にこう思った人が多いのではないか。
「英語Rと日本史あんま高く無くね?」
その通りだ。なんと共通テスト本番。
運悪いことに、得意科目にしていた日本史と英語Rがめちゃくちゃ難しかったのだ。
でも、前述したように、得意科目を複数用意していたから、理科で高得点をとれて、この二つをカバーすることができた。

体育祭と違って、
共通テストでは、僕は『運』に負けなかった。


『人とのご縁』に恵まれて無双した二次試験。

ぶっちゃけ、二次試験については共通テストほどあまり書くことがない。
でも一つ言えるのは、二次試験対策では『人とのご縁』にめちゃくちゃ恵まれたということだ。

サッカーはご縁があって、元Jリーガーの方に教わることができた。
柔道では、もう一度通っていた道場にお世話になった。(幼稚園から小3まで柔道をしていた。)
サッカーも柔道も指導のレベルが高すぎて、明らかに二次試験の範疇を超えていた。

だから2次試験では、631/700(90%)という
めちゃくちゃ高い点数を取って、
最終的に筑波に合格できた。

だからこれからも、こういった人との出会いや、縁を大切に生きていきたいと思う。


ちなみに、僕らの代の首席は
1236/1400点だった。

...いや、高すぎる!
あんまり「諦め」っていう思いは抱きたくないけど、
流石に当時の僕には取れそうにない点数だった。
こればかりは取った人がマジですごい。
どんな勉強したのか気になるので、
もし首席の人これ読んでたら連絡ください
🙇‍♂️

おまけ 推薦と一般について。

さて、そんなこんなで僕は筑波大学に入学して、蹴球部の門を叩き、フレッシュマンコースが始まった。
そのフレッシュマンコースの面談で、
僕はこう伝えられた。

「推薦(体育専門学群にサッカーの推薦で入った人達)と一般には少なからず溝がある。だから、
高橋には蹴球部内の推薦組と一般組をつなぐ役割を担ってほしい。」

Jリーグの下部組織出身で、全国大会にも出た事がある中、一般入試で筑波に受かったという背景があるから、こういう事を言われたんだろうと思う。
当時は自分の為だけに行動していたから、
そんな役割を担うつもりなんてさらさらなかった。

でも確かに、いざ蹴球部に入ってみると、そういった溝を感じてしまった事が何回かあった。
もしかしたら、蹴球部以外の部活にもその側面はあるのかもしれない。

本当はここで僕は「推薦と一般に、どちらかが優れているとかはない。」と言うべきなんだろうけど、

僕は小4からずっとJリーグの下部組織にいて、サッカーの実力が全てという世界でやってきて、当時の僕なりに色々頑張ってきたけど、それでも、世代別日本代表に入るような圧倒的な実力や、「全国◯位」といった輝かしい実績は高校時代では全く得られなかった。

筑波の推薦にも、選ばれなかった。

この経験から、推薦に選ばれる事がどれだけ大変で、凄い事かをわかってるつもりでいるから、だから僕は圧倒的な実力や実績を持って筑波に入った推薦組の人たちには強い尊敬の念を抱かざるを得なかった。
それは今でも同じだ。

でも、一般入試で入った人達も、押しつぶされそうな重圧と緊張の中、試験を乗り越えて合格した人たちで、同様にリスペクトされる存在であると思う。

筑波は国立だから、推薦で取れる人数が少ない。
だから一般入試で入った選手の存在と活躍が間違いなく不可欠だ。

今後蹴球部がより強くなるためにも、
僕は「推薦組と一般組を繋ぐ役割」を自分のやれる範囲で、やれるだけ行おうと思う。

今日も見てくれてありがとうございました🙇‍♂️

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