複雑に絡み合う“軸”の中で、大切にしたいものを見つめる
わたしは人と話すのが好きで、仕事も繋がりをもつ類のものなので、コミュニケーションをとる機会は少なくない。毎週のように「初めまして」と言っていて、定期的に会って話すような間柄の人もいる。
でもそういう日々の中で、「あ、この人とはちょっと合わないかもな」と感じる場面もあって。
それはそれで仕方ないのだけれど、どうにかできる問題のようにも感じて、いろいろと考えていた頃。
ひらやまさんのnote『「いま、何軸で話してる?」コミュケーションのバグについて』を読んで、なんとなく活路のようなものが見えた気がした。
本当に良いnoteなので、ぜひ読んでほしい。
コミュニケ―ションの“軸”の話
ひらやまさんのnoteのテーマは、「コミュニケーション」。
小さな誤解が積み重なると、大きなズレにつながってゆく。お互いを嫌いになるくらいズレが大きくなる前に、コミュニケーションの軸を確認して、噛み合わせを揃えてみてほしい。
note|「いま、何軸で話してる?」コミュケーションのバグについて
「わたしが感じていた課題は、こういうことなのかもな」と想像する。
わたしが「あ、この人とはちょっと合わないかもな」と感じる相手に対して持っているのは、「違和感」だ。自分の考えとは比重が違う気がして、そのバランスの違いが、違和感となって心をザワつかせる。なんだか居心地が悪くて、落ち着かない。やがて、相手とのコミュニケーションが苦痛になってしまう。
その、違和感に気付いた段階、あるいはもっと手前のどこかで、修正する術を探していた。
一般的に良いと感じることが多い言葉でも、人や状況によっては良くない場合がある。
note|「いま、何軸で話してる?」コミュケーションのバグについて
この「良い・悪い(良くない)」の根本にあるのが、“軸”なのだそうだ。
働く上でやりがいを第一に考えている人にとっての「やりがい」と、年収を上げたい人にとっての「やりがい」。そこには当然、ズレが生まれる。
このズレが、違和感なのだろう。
わたしの持つ“軸”と、相手の持つ“軸”との間で相違があるのに、そのままコミュニケーションが進むから、どんどんズレが大きくなる。やがてズレは痛みを帯び、それぞれ個人への嫌悪感へとも繋がっていく……。
*
こうして話を聞きながら考えると「うんうん、そうだよな」と思えるのに、実生活になると自分の“軸”しか考えなくなるのは何故なのだろう。
人は、忘れる生き物だ。特に、見えないもの、聞こえないものにはとことん弱い。
特に、「自分と他者の“軸”の違い」について、感覚的には理解しつつも、論理的に考えた経験のある人は多くはないだろう。「そういうこと、あるよね」と感覚で分かってしまうが故に、(わたし含めて)それが具体的にどういうことなのかまで考えを及ぼそうとはしない。
そういう意味でいうと、ひらやまさんのnoteは、具体的にどういうことなのかを考えるきっかけとなり得るし、貴重な存在だなぁと思う。
せっかくの機会なので、わたしも少し、考えてみたい。
「わたしにとって、“軸”はなんだろう?」
自分自身に、問うてみる。
わたしが良いと感じるものはなんだろう。その先にある“軸”はなんだろう?
人と関わるのが好き。人と話すのは楽しいし、人との時間を大切にしたい。
だから仕事は、ユーザーの反応を直に感じられるようなものが良い。自分の行動がどんな人のもとに届いているのかを確かめたい。
休日は、大切な誰かと過ごすことに時間を費やしたい。あるいは、この世界に生きる誰かがちょっと笑顔になれるようなことをしたい。
それは、自分の行動で誰かが嬉しい気持ちになってくれると嬉しいから。目の前にいる人はもちろん、今日どこかで涙を拭う人がいるなら、それは悲しいことだと思うから。
ひらやまさんは、こういう問いに一つひとつ向き合うことで、“自分の人生の解像度が上がっていく”と言う。
"何が楽しくて何が悲しいのか。
何が好きで何が嫌いなのか。
何が心地よくて何が不快なのか。"
そこをもう一段深掘れると、さらに解像度が上がります。
note|「いま、何軸で話してる?」コミュケーションのバグについて
自分の中にあるもやっとした“軸”に、輪郭を付けていく。
何気なくとった行動や、なんとなく感じたもの、なぜか続いているようなもの、こと。そういう一つひとつに、目を向けていく。“軸”を問う。
自分の人生の解像度が、上がっていく。
*
ひらやまさんは、“ふと思った感情に深掘りしていくと、実は前々からやりたかったことにつながっていることがあります”と言う。
これは本当に共感できることで、わたしには何度もこういう場面があった。
逆に、やりたいと思っているものを羅列していくと、共通するものが多いことに気付く。
例えば。
わたしはよく「やりたいことリスト」をつくるのだけど、以前は「未知の体験」に関するものが多かった。
福井県の恐竜博物館に行くとか、スカイダイビングとか、アルティメットのサークルに参加するとか。
でも最近は、「身近な人の幸せ」に関するものが増えている。
人に料理をふるまうとか、昔お世話になった恩師に直接お礼を伝えるとか、高齢者と呼ばれる方々が社会と繋がる仕組みをつくるとか。
そういうところから“軸”を探してみるのも、面白いかもしれない。
「話が合わない人」から「違う視点を持った人」へ
ひらやまさんのnoteの最後に掲載されている「みなさんからの感想」の中で、興味深いものを見つけた。
何軸で話してるかの共有で、”話が合わない人たち”から”違う視点を持った人たち”にレベルアップもできる気がする。
Twitter|大門史果
わたしは昔、「金銭的な部分を重視している人」の考えが分からなかった。正確に言えば、頭では理解できていたし、「そりゃ、お金がないとね。困るよね」とは思っていたけれど、心のどこかで納得していなかったんだと思う。お金があっても孤独じゃ仕方ない、最低限生きていけるだけの蓄えさえあればいい、と自分自身は考えていた。
でもある時、金銭的な事情でやりたいことができなかったことがあって、「あぁ、こういうことか」と思ったんだ。
相手がどんな“軸”をもって生きているのか。自分の“軸”とどういうところが似ていて、どんなところが違うのか。
それを共有することで、また別の“軸”が生まれることもある。
「なんだかこの人、話し合わないな」と思ったら、距離を置こうとする前に、一度、相手の“軸”について思いを馳せてみたい。
そうしたら、その人は「自分とは違う価値観を持った人」になって、その人とのコミュニケーションを楽しめるようになるかもしれない。
もちろん、すべての人の“軸”を理解する必要はない。ただ、「なんだか話、合わないな」と感じた時の可能性のひとつとして「そもそも“軸”が違うのかも?」という問いは、残していても損はないだろう。
それでもきっと、また見れなくなってしまう
“軸”は、ひとつではない。それは自分と他者の関係でもそうだし、企業やチームの中でもそうだけど、自分の中でだってそうだ。
わたしは、仕事においてやりがいを大切にしたいとは思ってるけど、あまり体力があるタイプでもないので、休息も大切にしたい。お金だって、最低限でいいとは言いつつも、誰かを応援したいと思った時や、大切な人が倒れた時に、それを支えられるだけの蓄えはしておきたい。
「仕事」というテーマに絞って考えてもこうなのだから、自分の中にどんな“軸”が存在するのかを把握しきるのは難しいだろう。
普段の生活の中にはさまざまな軸が複雑に絡み合っています。それらは目に見えず、明文化されていないこともあるので、常にすべてを意識することは、とても難しいことです。
note|「いま、何軸で話してる?」コミュケーションのバグについて
難しいな、と思う。
自分の“軸”を大切にしつつも、目の前にいる人の“軸”に目を向け、さらには自分たちの所属するチームの“軸”や、社会通念としてある“軸”もある。
“軸”に目を向けることは、大切にしたい。
でもきっと、また見れなくなってしまうこともあると思う。
そういう時でも、せめて「“軸”を捉えないままのコミュニケーションは、意識や認識に齟齬を生む」ということは、覚えておきたい。
なんだか、うまくいかないな。あの人の言っていること、分からないな。
……あ、もしかしたら“軸”が違っているのかも。
「ねぇ、今、何軸で話してる?」
こんな風に、思い出せる場面が少しずつ増えていったら、コミュニケーションのバグは、減らすことができるのかも。そういうことを想像できる人でいたい。
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“軸”の認識を忘れない、という観点からいうと、「思い出せる場面を増やす」以外にもやり方はいろいろあるかもしれない。
例えば、ひらやまさんの所属する会社cotreeでは、理念を「やさしさでつながる社会をつくる」として、それを基にしたバリュー(行動規範)、ミッション(役割)も言語化ている。
この場合の「理念」は、cotreeにとっての“軸”だと思う。
大切にしたいこと。常に心に留めておきたいこと。心地よく、嬉しくて、好きなこと。そういういろいろな要素が、「やさしさでつながる社会をつくる」という言葉には込められているのではないか。
こういう風に、“軸”というかたちを持たないものを言葉にし、かたちを与えることも、“軸”の認識を忘れないことの一助となるだろう。
実際にcotreeでも、議論に詰まった時は「それって、コトリーさん的なんだっけ」と問い直すことで、ズレそうになった軌道を戻せていると言う。
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“軸”は、一つだけを取ってみれば、単純で、一直線上にあるように思える。でも、いくつもの“軸”がある中で、その一つひとつを捉えるのは難しい。
だからこそ、わたしたちは何度も問い直しながら、その度に少しずつ変化していく“軸”たちの交わり方を、再確認する必要があるのだと思う。
あとがき
このnoteを書きながら、わたしは高校時代のことについて思い出していた。(詳細は↓こちらのnoteに。)
あの頃、わたしは相手のことを「自分とは考え方が合わない」フォルダーにぽいぽいと放り込んでしまっていた。だから相手の話に耳は貸さなかったし、自分の中にある“軸(↑のnoteの中では「正しさ」と表現しているけれど、おそらく似た意味合いを持つのではないかな。)”でしか考えられなかった。
あの時、「今、何軸で話してる?」と、自分にも、相手にも問えていたら。「ある男女の会話」のように、やさしいやりとりができたのではないだろうか。
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ひらやまさんのnoteは、いつもやさしい。
一つも取りこぼさないように、いろんなものの真ん中に立ちながら、時々偏る自分を修正して、全部を大切にできる道を模索している気がする。
今回のnoteの端々にも、そのバランス感覚の良さと、やさしさがちりばめられている。
こういうの、良いよね。
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TOP画像は、我が家の愛犬。
わたしの“軸”はなんだろう?
そう問うた時、真っ先に思い浮かんだのが彼女の姿だった。
彼女を含む、身近な人の幸せで穏やかな日々を守りたい。できればその日々の中に、自分も加わっていたい。
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このnoteは、「私のお気に入り #cotree_advent_note 」企画に寄せて書いたもの。
「cotree advent note」のnoteたちは、↓から。あなたのお気に入りが見つかったら、嬉しい。
おすすめnoteを一つずつ順番に書くことにして始めた、#takaren_advent_note 4日目。