「信じる」
3月。桜も見ごろになった頃、夏から付き合っていた大好きな彼と別れた。別れたっていうか、(また)振られた。
悲しい日々だ。寝ても覚めても。
それでもようやくここに書こうと思うくらいはちょっと回復してきた。
別れても、彼のことを「大事な人」 と思った。
もともとオンラインで知っていたが、オフで出会ったのが去年のGW
出会ったその日に「大事にする」と決意した。
なぜだろう。不思議だけどそう決めた。
付き合うまで3カ月はとにかくアタックした。諦めようと思ったけど、諦めなかった結果、というか。
毎晩、寝る前に彼の幸せを願った。私と共に導いてくださいと、神なのか宇宙なのかわからないけど、毎晩そう唱えた。別れるその日まで。
それが原因か、自分のコントロールできない無意識下までそれが浸透したのか、、、そんなのわからないが、だけど、今でも「大事な人」という答えになる。何十回、何百回考えても答えは同じになる。
※結論:浮気されて乗り換えられた。
浮気だと確信するまでの3カ月、私に対する態度はめちゃくちゃ酷かった。悲しいなんてものじゃない…それに対してはずっと傷ついている。
まだ癒えない。
でも、私も「浮気してる?」とか一切口にしなかった。
怪しいなあと思ったことは何度もあった。「もう私のこと好きじゃないんだろうな」とわかっていた。でも言わなかったし、言えなかった。言いたくなかった。
「裏切り」をどう捉えるか
多くの人が感銘を受けたであろう、女優 芦田愛菜ちゃんの「信じる」についてのインタビュー。
私も漏れなくとても感銘を受けた。モヤっとしていたものが明確に晴れていく感じがした。
その通りなのかなと。
これまで、2回浮気関係で関係が終わったことがある。
一番最初に「浮気相手にされていた」時、22歳とかだったので激しく落ち込んで「男なんて信じられない」と憤怒した。
24歳で婚約破棄になったときも、「信じてたのに」と相手を責めた。
前記事参照
でも、色んな人と関わっていけばわかる。
人はそんなにきれいではない。
みんな自分を守るために、相手を傷つけてまでも嘘をつく。不誠実な行動をとる。でも、その人の視線では「自分の気持ちに素直になった結果」なのかもしれない。
と言っている。
さらに、「自己受容」をし、「他者信頼」をすること 説く。
他者信頼:無条件に信じ続けること。
別れて1カ月。今も全然悲しい。ものすごいムカつくときもある。
その頃、仕事でかなりメンタルがやばいときで「彼の話を聴くことができなかった」ことを深く後悔している。お互いちゃんと話すことができない関係になっていた。
彼は、元々ほとんど自分の本音を言わない。奥の方にしまって、言ってくれない。そういうのもわかっていた。だから、私が努力を怠ったなと反省している。双方歩み寄らなかったね…
その人の見えない部分が見えただけ。
好きだから、信じていた。……ではないと思う。
「好きだから」という条件付きで信じていたとは思わない。
すごく単純に「信じたいから信じていた」
信じた理由は、「信じたいから」になるのかな。
勝手に信じ切っていたのは私で、彼は信じられているとわからなかったかもしれない。
ちゃんと彼に「信じてるよ」って伝えればよかったのかな…とこれも後悔してる。
伝えなくてわかる。そんなのは有り得ない
じゃあ裏切られたもクソもないじゃないか……?
私は、信じたいから信じた。何のため?自分の為に。私たちの為に。
全部独りよがりだ
信じたのは私だから、信じた相手に対して怒るのは違うと思う。だったら最初から疑えばよかった、言えばよかったのだから。
信じたのは自分勝手だ。
なぜ後悔して反省するか…未練があるから、でしょう。
絶対に浮気?二股?をした彼が悪いんだと思うけど、、浮気をした彼を責めきれない。
っていうか……ただ単純に私の事そんなに好きじゃなかったんじゃないか と…思うよ客観的に考えたら
わかってるのにね。
たらればの後悔を見つけて自分に原因があると思って、
「好きじゃない」っていう事実から目を背けたい醜い私がいるよ。
人の気持ちは絶対にコントロールできない。
愛しても愛しても、愛されないなあ。
自己満の愛だからかなあ
愛する人を間違ったっていうシンプルなことかもしれないけれど。
今も、この人のこと信じたいって自分がいるよ。
復縁とかじゃなくて、人間的にもう一度信じたいなって。
ばかだなあ。