つまづいたのは誰かのせいかもしれない。けど、立ちあがらないのは誰のせいでもないわ。
こどもの頃、石につまづいて転んだりしたら
「もう~~~、このっ!」
とか言ってころがっている石に怒っていた。
こどもあるある。
おとなになっても、
なにかがうまくいかないと人のせいにしたり、物のせいにしたりと忙しい。
まあ、文句を言うのはいいとして、
それでなにかを放り出したり、諦めたりするのは結局自分のせい。
「せい」って言うと、もやもやするから言い変えると、
なにかを放り出したりあきらめたりしたのは、
結局自分が決めたことなんだよね。
わかってる。
わかってるんだけど・・・。
知ってるだけで、わかってないんだよなぁ。。
わかってるけど、わからないんだよなぁ~。
もう本当に、どう考えても、
自分のせいなんてこれっぽっちもなくて。
もう本当に、どんなに考えても、
あいつのせい、それのせいっていうことがある。
あきらめるのもしかたがなくて、
放り出したくなるのもしょうがない、
そんなことが実際あるし。
イヤイヤやっていたり、
しょうがなく続けていたりで
泣けてくるってのもある。
でも、それでも。
今、自分がやっていることは
自分が決めたこと。
自分自身が、べつの可能性を捨てて「そうなんだ」と決めたこと。
そして、べつの可能性を見つけたいなら、認めるしかない。
今の自分は、自分自身が選んだ結果なんだって。
自分が決めたんだと認めないと、変えられない。
だって「しかたない」と「しょうがない」は
自分以外のだれかとなにかに「自分が決める力」を渡すってことだから。
峰不二子が言ってた。
『 つまづいたのは誰かのせいかもしれない。
けど、立ちあがらないのは誰のせいでもないわ』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?