「探索」しない時代をどう乗り越えるか_仮説の手前 32
毎週月曜に届くビジネス・カルチャーのニュースレター『Lobsterr Letter』で、とても興味深い記事がピックアップされていました(『Lobsterr Letter』はとても素晴らしいキュレーションをしてくれます。個人的にとってもオススメですのでみなさんもぜひ)。
そこでピックアップされた記事はコチラです。
(google翻訳ってすごいですね。ほぼ内容理解できました)
記事自体は、アメリカではすべてが「高齢化」しているという内容で、政治、ビジネス、学問、科学、スポーツ、ポップカルチャーなど、ほぼすべての分野で平均年齢が上昇しているとのこと。その中で特に『Lobsterr Letter』が取り上げているのはエンタメの分野でした。以下引用。
この記事を見た時に、最近よく考えている「感動の再生」について思い出しました。
自身の経験の話ではあるのですが、これはたとえば
新しい小説を読みたいけど、時間をとられて失敗した(つまらなかった)と思いたくないから、以前読んだ小説に手が伸びたり
楽しそうなコンテンツを浴びたくてNETFLIXを契約したものの、探すのが億劫になって結局「知っているもの」や「既に多くの人が観ている」ものを再生したり
Youtubeを眺めていても、いつか観た「お笑い番組」やドラマの切り抜きなんかをついついクリックしてしまったり
Apple musicの年間再生数を見ると(◯◯年一番聞いたリストがありますよね)、毎年顔を出すアーティストがいたり
といったようなことです。ツイートでは「余裕がなくなると」と書いてますが、むしろ暇な時にも上の行動はしている訳で、そういった意味では「いつでも」ということになるのかもしれません。
ここまで自身の行動を振り返ると、アルゴリズムの向上が生むひとつの大きな弊害に「探索しなくなる」というのがあることがわかります。「検索」ではなく「探索」です。つまり、答えがあることを前提にした情報の収集ではなく、なにがあるかわからないけど「そこに行けば面白いことがあるかも」といった好奇心を前提としたアクションのことです。
何かのきっかけで観たコンテンツの横にある「他の人も観ています」が大きく掲載されているのは、結局それがよく「観られる」からでしょう。そう考えると、自身の好奇心を他者(アルゴリズム)に預けている状態と言えるのかもしれません(僕が高齢化して好奇心がなくなった、というだけの話かもしれません)。更にそれはコンテンツ作成者側にも当然ながら大きな影を落とします。上記引用にも書かれているオリジナリティの逓減です。
「より多く観てもらう=プラットフォーム側の最優先事項=コンテンツ作成者がお金を稼げる」という構造は、否が応にも「似たコンテンツ」を生み出します。この流れはイメージしやすいと思いますし、自身の仕事(SNSというプラットフォームを通じてお客様に情報を届ける立場)でも同じことが当てはまります。
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。