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10年メモ


日記を書く時、あなたは、シャーペンとボールペンのどちらを使うだろうか。

いや、今どき紙じゃなくてスマホで日記をつける人もたくさんいるだろう。

いやいや、そもそも日記なんてつけない人の方が多いのかもしれない。

友達とお互いの日記の中身について話すことことなんて滅多にないので、そこら辺の相場が全然わからない、みんなそんなもんか。


僕はここ何年か日記を書き続けている。今はお気に入りの日記帳に、お気に入りのボールペンを揃えて。飽き性の自分にしてはよく継続できていると、我ながら感心する。



初めはスマホの日記アプリ的なものを使っていた。そこには前後何年にわたって日記を保存することができるし、一緒に写真を添付することもできるので、その日の思い出が視覚的にも呼び起こされる。

だが、使っていた携帯を機種変更した際、どういうわけかデータが引き継がれず、すべての日記が消えてしまった。

既につけ始めて1年以上たっていたし、僕はしばらくの間そのショックを引きずって、新しく日記をつけ始めることができなかった。


それからしばらく経った去年の10月の暮れごろ、下北沢のB&Bという本屋さんで、僕は「10年メモ」という日記に出会った。

この「10年メモ」は、文字通りこの先10年間にわたって日記をつけることができる。お気に入りのポイントは、シンプルな外装(上のリンクから見てほしい)と、10年の間の各年のその日、何があったかが一目でわかるページのデザインだ。(文字でうまく伝えられないのが申し訳ない)


書き進めていくにつれて、去年の今日はこんなことしてたのか、3年前の今日の自分はこんなことを考えていたのか、10年前はこんなことしてたっけ…と、思い出が零れ落ちることなく積み重なっていく。

日記の魅力は、そうやって過去の自分を大切に守り続けてくれることだと思う。


しかし、この10年メモの愛おしいところは、そのように過去に思いを馳せるだけでなく、今日の日記をつけながら、欄下に広がる5年、10年先のまっさらな余白を見せてくれる部分だと思う。

今日はこんな辛いことがあった。でも来年この欄を埋める日には、きっとこの経験も糧にして、胸張って生きていたい。
今日は大好きな人たちと遊びに行った。この日記を書く5年先10年先も、みんなと仲良く入れたらいいな。
今日は夢が生まれた。10年先の自分は、今日の自分に恥じない生き方をしているだろうか。

こうやって、今日という過去を守り、明日のずっとその先の前を向かせてくれる。10年メモは僕にとって宝物であり、親友であり、タイムマシンだ。



まあ正直、家で巣ごもり自粛生活の近頃は、わざわざ日記に付けるような出来事もなかなかない。ついこの間までは、その日の分をはみ出すほど書くことがたくさんあったのに、最近ではずいぶん余白が目立つ。

でも僕は書くことをやめたくない。なぜなら、初めて日記をつけたいと思った日、僕は気づいてしまったからだ。例えめちゃくちゃ楽しかった思い出や、誰かに伝えてもらったお守りみたいな言葉でも、案外忘れてしまうものだと。

「忘れるようなことなら大したことない」って言う人もいるけど、僕はどうしてもそれを手放したくなくて、例え全く生産性のないその日限りの疑問や葛藤でさえも、全て抱え続けていたいと思ってしまう。(存外自分は強欲らしい)

だから例え、「今日はずっと家にいた。父親が夕食の最中にアイスコーヒーを飲んでいるのが気になって仕方なかった。胃袋で喧嘩してそう。」なんてくだらないことしか書くことがなくても、その感情を抱え、守りたい。そうして僕は日記を書く。



想定より随分と長くなってしまったが、なんだかこいつは日記をつけるのが好きらしい、ってことが伝われば幸いだ。欲を言えば、普段日記をつけてない人が、これを読んで「日記付けてみようかな」と思ってくれたら、それほど嬉しいことはない。

新しく始めるなら、あくまで僕は紙の日記にすることをお勧めする。アプリだと何かの拍子に消えてしまうかもしれないが(僕のように)、紙ならそんなことはない。強いて挙げるとすれば、気を付けなければならないのはコーヒーを溢すことくらいだろうか。

ページにコーヒーが染みて読めなくなったら、お先真っ黒って感じで縁起が悪い。


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