【論文レビュー】ジェイムズからミードを経てゴフマンへと至る社会学史:中河(2010)
冒頭で著者は、社会学の古典は三つに大別されるとしています。具体的には、①「表象としてのわたし」論(デュルケーム)、②「過程としてのわたし」論(ミード)、③「関係の結節点としてのわたし」論(ジンメル)、です。本論文では、このうちの②について深掘りがなされています。
ウィリアム・ジェイムズ
ジェイムズは社会学的な自己論の先駆者として位置づけられています。プラグマティズムを主導した人物の一人であり、「I」(自我)と「Me」(自己)を統合的に捉えようとしました。
ジョージ・ミード
ミードもまたプラグマティズムの主導者の一人として捉えられています。ジェイムズを継承した一方で、ミードは、「意識の対象として立ち現れる「Me」が、他者と「わたし」との一種の連結装置として位置付けられる」(51頁)として、他者の行動から「Me」への反応というプロセスを経て「I」が現出すると捉えたのです。
ここからブルーマーをはじめとしたシンボリック相互作用論に繋がっていきます。シンボリック相互作用論は、「自己を静態的な「関係」の束ではなく、動的な相互行為過程のただ中に位置付けた」(52頁)ことによって、自分という存在を他者や社会とのダイナミックなものと捉えています。
アーヴィング・ゴフマン
シンボリック相互作用論を経て、状況に埋め込まれた自己を描き出したのがゴフマンです。社会的アイデンティティである役割を参照点にすることで、私という自己(パーソナル・アイデンティティ)を解釈することが可能となるとしています。
つまり、「役割は、パーソナル・アイデンティティを抑圧するものではなく、むしろその表示に(少なくとも日常的には)不可欠なもの」(57頁)と捉えています。こうして、ジェイムズからミードを経てゴフマンへと至る流れが本論文で明らかにされているのです。
あとがき
昨年、大学院の授業で社会構成主義をまとめましたが、なぜ本論文を読まなかったのかと歯噛みする想いでした。私が当時まとめたものはざっくりいえば以下のような感じで、本論文を読むとそれほど外れていなかったと安心する一方、読みが足らなかったなぁという思いも強いです。