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【読書メモ】なぜ走るのか?:『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹著)

本書を通読するのは3回目です。村上春樹さんの文体に触れたいからなのか、本書自体に興味があるからなのか、あるいはそのどちらも当てはまるのかもしれません。とにかく読み直したい気持ちが昂まったので少しずつ改めて読んでいきます。

なぜ走るのか?

走ることが趣味になってから6年が経ちました。それ以降、特にマラソン大会に継続的に出るようになってからは「なぜ走るのか?」という問いを何度となく質問されるようになりました。この質問への回答、難しいんですよね。偉大な作家である著者と同様というと烏滸がましいですが、近い状況にはあるようです。

手間のかかる性格というべきか、僕は字にしてみないとものがうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。

p.3


書かないとわからない。これは至言だと思います。私の場合、話そうとするとどうしても浅いところを返してしまいがちです。実際、走る理由については、走るきっかけであった「痩せるため」と答えてしまいます。事実ではあるものの真因を語れていないような気はするのですが、他にうまく言葉を紡げません。

書くことで、語りたいことを構築できるというのはあると思うので、著者のプロセスを追いながら私自身も書いていきたいと思います。

走ることについて書くこと=自分を書くこと

走ることについて書くことは、走ること以外にも派生するようです。

走ることについて正直に書くことは、僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった。

p.5


何が対象であれ、自身の生活に長い期間にわたって密着したものについて書くことは、自身の存在について書くことと近いのかもしれません。行動すると何らかの反応があり、それが習慣であれば反応の蓄積によって自身が形作られるということになると考えられますので。

そうした意味でも走ることについて書くことは興味深いプロセスなのかもしれません。

マラソンを走っている時の気持ち

走ることを書くことの難しさは、状況によってその心持ちが全く異なるからかもしれません。たとえばフルマラソンを走っている時も、考えていることや思っていることは毎回バラバラです。

著者は、何人かのプロのマラソンランナーがレースの際に自らを叱咤激励するためにどのようなことをしているか、という特集記事を読み、最も印象に残った言葉を以下のように書いています。

Pain is inevitable. Suffering is optional. それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。

p.4

痛み(pain)とか苦しみ(suffering)といったしんどい言葉しか出てこないのは辛いところですが、「苦しみはオプショナル」という表現はいいですね。私も今後、唱えてみようかな。

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