神戸大学でEthics・Moralityを学ぶ。
リスク回避型で出不精な性格なので、ともすると慣れ親しんだ環境にいつづけようとしてしまいます。そのため、新しい分野で精神的ストレスのかかる「アウェイ」の環境に自分の身を置く機会を時折り創るようにしています。
(だから転職を繰り返しているわけではありません、念のため。)
というわけで今回は、神戸大学の服部先生が主催されたNational University of SingaporeのDr.YamのEthicsやMoralityをテーマとしたセッションを受けてきました。
Dr. Kai Chi (Samuel) Yam is an Assistant Professor of Management at the National University of Singapore Business School. He received his Ph.D. in Organizational Behavior, with a focus on Business Ethics, from the University of Washington. He also holds an M.A. in Child Development and an M.S. in Organizational Behavior.
https://www.samuelyam.net/
この領域は、興味はあるけれども学んだことがないものでした。参加対象と異なる人間にオブザーブの許可をいただいた服部先生には感謝しかありません。どうもありがとうございました。
正直、一言で言えばアウェイの洗礼を受けたなという印象です。環境がということではなく、神大には何度か訪れたことがありましたし、神大のすぐ隣のマンションに住んでいたこともありますから(笑)。環境ではなく、内容がとにかく難しかったという意味合いです。
ただ、今回参加した主たる目的は、リーダーシップ開発型の人財開発施策で活用できるものがないかを探索することであり、その意味では刺激に満ちた学びに溢れた場でした。そのため、セッションの内容を網羅的に述べるのではなく(やれと言われてもできませんから)、この目的に引き付けて書いてみます。
なお、セッション自体は英語でしたので、以下では、資料や文章を引用する際には英文を用い、自分の学びを記す際には拙訳を用いることをご承知おきください。
【テーマ1:Ethical Decision Making】
このテーマで興味深いと思ったのは、自己効力感の研究でおなじみのAlbert Banduraの論文です。
Bandura, A. (1999). Moral disengagement in the perpetration of inhumanities. Personality and Social Psychology Review, 3(3), 193-209.
https://journals.sagepub.com/doi/10.1207/s15327957pspr0303_3
Badura(1999)は、自身の言動が誤っていることを自分自身が理解した上でそれを過小評価しようとする人間の行動を三つに分けて解説しています。
それぞれの例文を読んでいただくと「ああ、行っていることがあるかも」と思うものが多いのではないでしょうか。たとえば「過去からの運用の一貫性を守ることで社員間の公正性を担保できるから、○○は××の点で違和感があるが今回は改訂しないでおこう」という言動はMoral Justificationに該当するかもしれません。
私たちは思いのほか、誤りを小さく見せようするものです。そうした行為には正当性もあるわけですからゼロにすることが必ずしも望ましいわけではないでしょう。しかしながら、どの内容についてどの程度自分が行っているかについて自覚的であることが必要なのではないでしょうか。
【テーマ2:Ethics and Morality】
続いてHaidt(2001)を見ていきます。
Haidt, J. (2001). The emotional dog and its rational tail: a social intuitionist approach to moral judgment. Psychological Review, 108(4), 814-834.
http://fitelson.org/confirmation/reasoning_adler_rips.pdf#page=1036
この論文を事前に読んだ際にも過激な例だなと思いましたが、セッションでも取り上げられました。ここで私が取り上げてその部分だけを切り取られると、それこそ倫理観が欠落していると見做されてしまうリスクがある内容なので、興味がある方はぜひ論文をお読みになってください。
この例を敷衍すれば、ある行動をモラルという観点で判断する際、私たちは、法令遵守や社会的意味合いなどの要素に基づいて合理的に判断しているわけではない、ということです。換言すれば、客観的な要素で検討すれば問題がないと判断できる場合であっても、モラル的ではないと判断することがあります。
このメカニズムを理解するために、もう少し詳しく説明します。通常、私たちが理解しているモラルの判断をモデル化しているものが以下の図です。
しかし、現実的かつ多様な影響度合いがクリアされても、私たちはモラルに合致していないという判断を下すことがあります。たとえば、法的に問題がなく、物理的な悪影響がなくても、「なんとなく気持ち悪い」「『良識』と合わない」という価値判断です。それを明らかにしたものが以下のモデルです。
ある刺激に対して、モラル的な判断を下すために、合理的な正当化の前に直感が影響を与えているというわけです。つまり、理性で捉えれば問題がないように思えても、直感的にモラルに合致しているか否かを私たちは判断しているというわけです。
【まとめ】
暴論を承知で言えば、実務家としてはMoralやEthicsが何かという厳密な意味合いには興味がほとんどありません。むしろ、企業組織の社員としてMoralやEthicsに基づいた行動を常に行えるようにいかにするかということに興味があります。
とりわけリーダーシップを広範囲にわたって強く発揮する役割を担う人物については特にケアが必要です。となると、MoralやEthicsは開発可能なのか、それらを発揮している人財を発掘して上記のようなポジションにつけるのか、という人事としてはお決まりの採用・選抜vs.開発の議論になります。
MoralやEthicsについては、個人的には開発に重きを置きたいなと考えます。というのも、採用・選抜という限られたタイミングでは見切れないであろうことと、ネガティヴチェックはできたとしても積極的に評価することは難しいという観点から採用・選抜で対応することは難しいと考えるためです。
ではどのように開発できるのか。方向性として考えているのは、Moralや Ethicsのメカニズムを理解することと、自分自身の行動や判断に対して謙虚になること、の二つです。後者については、「頭が良い」と自身で思っている人ほど、自身の判断が合理的であることに過信しがちです。そこを自分自身で疑えるように気づきを与えることが第一歩なのではないでしょうか。