少し前に扱ったように、私たちは社会との接点を持つ上で(1)アクター、(2)エージェント、(3)オーサー、という三つの役割を持ちます。前回まででエージェントまで終えたので、今回はオーサーについて扱います。
総合ではなく統合あるいは止揚!?
物語る私は具体的に何をするのでしょうか?物語るために私たちは過去の経験を内省してパターンを見出すわけなのですが、それは単に過去の経験からの学びを蓄積して総合するわけではないとして、サビカス先生は以下のように述べておられます。
エリック・エリクソンを引きながら、物語ることでアイデンティティを構築することは、過去のトランジションにおける多様な課題解決の総合ではなく統合や止揚であるとしています。では、過去の経験を統合したり止揚したりして物語るというのはどのようなことなのでしょうか?
筋(plot)ではなくテーマ
オーサーとして物語るためには筋(plot)ではなくテーマであるとサビカス先生は解説しています。両者の違いに関する本論文での例示は、英語的なものであるにもかかわらず珍しく(?)わかりやすいので触れます。「王様が亡くなった後、お妃様が亡くなった。」は話の筋の説明であり、「王様が亡くなった後、お妃様はその悲しみで亡くなった。」はテーマであるというのです。サビカス先生の例示は日本人の私にはわかりづらいものが多いのですが(失礼!)、これはちょっとわかりませんか?
では両者では何が具体的に異なるのでしょうか。
端的に言えば、話の筋に意味性が付与されるとテーマになるとしています。キャリアに置き換えれば、外的キャリア(職務、ポジション、役割など)から内的キャリア(価値観、志向性など)へと深掘りしていく上では自分なりの意味を見出すことが求められるわけです。
キャリア・テーマ
こうして筋がテーマに昇華することによって何がもたらされるのでしょうか?
キャリアにおけるテーマをキャリア・テーマとサビカス先生は呼び、それは私たちに継続性をもたらすと解説しています。ナラティヴな動的なものなので、キャリア・テーマは不変のものというよりも一定程度の安定性を示す存在であると考えられます。
始まりの欲求から終わりの意味性へ
意味性が付与されたキャリア・テーマがもたらすものは、欲求に基づく課題解決ではなく人生の目的や目標に向けたものだとサビカス先生はしています。
なかなかにして難しいですが深い内容ですね。陳腐な解説はやめておいて、ぜひ上の部分をご自身で読み解いていただければと思います。