【読書メモ】新しい雇用原則としてのバウンダリーレス・キャリア:『バウンダリーレス・キャリア上巻』(マイケル B. アーサー・デニス M. ルソー監修)第1章
1996年出版のアーサー&ルソーの『The Boundaryless Career』の邦訳版が遂に出版されたとの朗報を知り、早速読みました。本書のタイトルにもなっているバウンダリーレス・キャリアは、プロティアン・キャリアと共にニューキャリア論として位置付けられる概念で、キャリア論を研究する上では避けては通れない存在です。
組織内キャリアへの批判
バウンダリーレス・キャリアが対峙したのはエドガー=シャインやヴァン・マーネンをはじめとした組織内キャリア開発に基づくキャリア論です。もちろん、組織内キャリア開発が機能した状況もあったわけですが、1990年代のアメリカの雇用社会の現状を踏まえると、もはや組織内キャリア開発は万能ではなくなった、としてバウンダリーレス・キャリアが提唱されました。
では、組織内キャリア開発が機能した背景には何があったのでしょうか。本章によれば、三つのポイントが挙げられています。
個人の自我同一性を明らかにするという当時のキャリア研究の関心が、組織の持つ複雑な性質と仕組みと整合的だった
組織および組織を取り巻く環境が比較的安定していた
組織構造が階層的なものであった
つまり、個人と組織の双方が静態的で予定調和性の高い状態においては、組織内キャリア開発のアプローチが適合的だった、というわけです。こうした前提が、個人においても組織においても崩れつつある1990年代以降に新たなキャリア論が求められたという流れと理解すれば良いでしょう。
ネットワークと学習
こうした新しい個人と組織との関係性の中において、個人が自身のキャリアに責任を持つという考え方が生じます。日本企業でも、昨今、キャリア自律という言葉で言われてきている考え方です。
こうした状況で求められるアプローチとしてネットワーク構築と学習行動の二つが挙げられています。ネットワーク構築は、「他の人々の知識や人的資源への接近ができるようになる」(26頁)ことであり、言い換えれば、闇雲にコミュニケーションできる他者を増やすということを意味しているわけではない点に注意が必要でしょう。
学習としては、職務や地域における活動といったリアルな場面での経験を通じたものが重視されています。日本企業では、資格勉強やTOEICといった固定的な知識の学習が推奨されることもありますが、バウンダリーレス・キャリアにおいては、標準化された知識・スキルの陳腐化する状態性を踏まえて変化に対応するプロセスとしての学習が重んじられていると考えられます。
おまけ
本書の原著を読んだ際に、第1章を中心にまとめたnoteもあります。ご関心のある方はご笑覧くださいませ。