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【読書メモ】「批判に答える」:『あなたへの社会構成主義』(ケネス・J・ガーゲン著)[第9章]

最終章では、社会構成主義に対する批判として想定されるものに対して回答するという面白い構造を取っています。最も面白い想定問答は、事実や存在すら社会構成主義は否定しているのではないか?という問いです。ガーゲンはどのように回答しているのでしょうか。

現実主義者への回答

冒頭で述べたものの端的な例はこうです。「目の前の机の上に置いてあるMacBookという存在すら社会構成主義は批判するの?」というものです。認識によって多様な捉え方がある、という社会構成主義の認識のありようを誤解するとこのような質問を投げかけたくなる気持ちはなんとなくわかります。

当たり前ですが、もし、僕の目の前にMacBookが存在しなければ、僕はこのnoteに記事を書くという作業を行うことはできません。タイプすることによって文字が出てきているというのもまた事実です。

社会構成主義は、事実そのものを否定しているのではなく、事実に関する意味合いに対する解釈が多様にあるというアプローチを取ります。かつ、その解釈は静的なものではなく動的なものであり、新たな解釈に対してオープンであるという考え方を取っています。これらの意味生成やダイナミックな解釈という点は、いま目の前にある事実を否定するということではないという点を留意する必要があるでしょう。

心を想定したデカルトへの批判

社会構成主義では、関係性の中で意味が生成されるものであり、個人の心が意味を感受するという捉え方をしていません。では、そもそも、この個人の心によって客観的な真理を理解するという捉え方はどこから生まれたのでしょうか。

最後の章で述べられているのは、この客観的な真理なるものを個人は心で理解するという考え方はデカルトに端を発するとガーゲンはしています。関係性の中で私たちは何かを理解することが可能となり、関係性がなければ何かを疑うということはできない、としているのです。ガーゲンにしては、なかなか熱量の高い批判のトーンなので、ご関心のある方は第9章の冒頭を読んでみてくださいませ。


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