人が変わる瞬間。
つい先日、何気なく眺めていたYouTubeのページに流れてきたHIKAKINさんの動画で、彼の上京当時の話が語られていて
あれほどのスターも泥臭いところから這い上がってきてるんだなー、と感心したことで有名なタカオカモトです。
僕は野球が好きなので、よく動画で選手のプレー集なんかを見ているんですが、そういうフィルターを通して見ることに慣れると「すごい人ほど、すごく見えなくなる」ような気がします。当たり前の基準がアマチュアとは天と地ほど違うのにもかかわらず。
とくにHIKAKINさんのように毎日動画の編集と投稿をくり返している人は、そうやってやり続けてきた中で技術を体得していった部分もあると思うので、歴の長いファンこそ
いい意味で「どこがすごい人なのかわからない」状態
なんじゃないでしょうか。
そしてふと、
先ほどのHIKAKINさんのように地道に這い上がってきた人たちの"努力の過程で起こった変化"ってほんと瞬間的なものだったんじゃないかなーと思うんです。
HIKAKINさんで例えると、彼が今のスタイルに定着するまでの歴史の中で変化が起きたいくつかの、いわゆるターニングポイント。
列車が分岐をくり返して目的地に到着するように、人が生きてきた中で今につながる分岐点。
そんなことを考えてるうちに僕はある疑問を抱きました。
「人が変わる瞬間」っていつなのか?
これはいわば、スポーツ番組で語られる「覚醒の裏側」みたいなものですね。
きっかけは何だったのか、どうやった結果どうなったのか、と選手が自分自身の口から語るあの感じ。
で、まず僕自身はどうだったのか考えてみました。
最近何かと自己分析をするシチュエーションが多いので必然的というか定期的に過去を振り返ってるんですが、まずポイントとなったのが
「何が起きたか」ということ。
例えば僕で言えば、地元の狭い人間関係に嫌気がさして中学受験をした後、中高一貫を無事卒業するかと思いきや高2で転校。転校した先の全く新しい環境で「自分」を探し続けた。そして今がある
と、こんな感じになるんですが、これって外的要因になるので、「自分の変化」というより「まるごと環境の変化」になるなと。
ではそれ以外の、もっと内的なポイントは?
と考えたとき、僕が出した答えは
どれだけ自分のことだけを見つめていたか
でした。
文字だけ見るとスーパーナルシスト、笑
もっと詳しく言うと、
他者への興味を極限まで削ぎ落としました。
これだけ聞くとサイコパス、といったところですが、これがよかった。
話はそれますが、よく巷で言われる「自己啓発本(ビジネス本)を読んだところで人生は何も変わらない」といった論調のものって、その著者が経験したものをその人の視点のみで書き綴ってあるからだと思うんです。
つまり、
その本の中にあるのは、その人だけの世界
ってことです。もはや小説と変わりません。
おそらくそういった「本に書き残す需要があるほど、独特な経験をしてきた」人って、そんなに周りへの興味とかないはずなんですよ。いい意味で。
そのかわり、
圧倒的に自己を見つめ続ける
努力が凄まじかったんじゃないか、と僕は思います。
極端な例えとして、成功した人=行動を起こした人だとすると、その成功は「全て自分のおかげ」だったってことですからね。
もちろんそんなことを言う人はいませんが、そうした人たちは全員と言っていいほど「自分を見つめる時間」を日々のルーティーンの中に組み込んでいたのではないでしょうか。
そしてその時間が積み重なり、
極限まで自分のことだけに集中した結果、これまでの自分の超過点に達した。
そんな気がしてやみません。
誰かの内面の変化を読み解くのはむずかしいと感じたのでほとんど僕個人の話になってしまいましたが、
「あの人がこう言った、そしてこの人はああ言った」
こんな情報を毎日、毎時間毎分毎秒耳にする時代だからこそ、一旦そういった喧騒から離れて考えてみることが大事なんじゃないでしょうか。
「じゃあ自分は?」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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