ファーザー
第93回アカデミー賞授賞式は映画の祭典ではなく、ポリコレの祭典、黒人の祭典と化したために、視聴者数は過去最低を記録してしまった。30年間にわたって、授賞式全編をBS放送で見てきた自分も今回ほどつまらない授賞式はないと思った。
そして、今回の授賞式で一番の愚行と言っていいのが最後に発表する部門を作品賞ではなく主演男優賞にしてしまったことだ。
がんによって43歳の若さで亡くなった黒人俳優チャドウィック・ボーズマンが「マ・レイニーのブラックボトム」で主演男優賞を受賞し、遺族や黒人の共演者、スタッフがスピーチすれば感動的なエンディングになり、視聴者数も増えるだろうという目論見でやったであろうということは公式側のコメントを待たなくても映画ファンなら誰でも想像がつくことだ。
それはつまり、投票権を持つアカデミー会員に対して“チャドウィック・ボーズマンに投票したよな?場の空気を読めないことなんかしてないよな?”という圧力をかけたということでもあると思う。
ところが、主演男優賞はチャドウィック・ボーズマンどころか、アジア系米国人として初めて主演男優賞にノミネートされた「ミナリ」のスティーヴン・ユァンでも、ムスリムとして初めてノミネートされた「サウンド・オブ・メタル」のリズ・アーメッドでもなく、残った白人候補2人のうち、高齢の方である「ファーザー」のアンソニー・ホプキンス(もう1人は「Mank」のゲイリー・オールドマン)が受賞してしまった。
しかも、83歳の最高齢受賞となったのだから、この受賞結果に納得いかないポリコレ信者たちは、白人老害によって決められる旧態依然としたアカデミー賞的な批判をしまくることになってしまった。
これほど、ポリコレに配慮しすぎて偏りまくった受賞・ノミネートになっているのに、どこが白人の高齢男性に占拠された賞なんだかって言いたい。ポリコレ信者って、自分たちの思い描いた結果から1ミリでもずれると、全否定するところがあるが、本当、それってダブルスタンダードの極みだよね。
日本のリベラル・左翼・パヨクと呼ばれる人たちもそう。改憲はすべきだが、安倍政権や菅政権ではやるべきではないって主張するとネトウヨ扱いされてしまうからね。
“は?”って感じだよね。安倍や菅を批判しているのにネトウヨにされてしまうんだからね。
リベラル・左翼・パヨクは、安倍政権や菅政権を批判する者は、改憲も否定しなくてはいけないって決めつけているからね。
それと同じように、米国のリベラル系芸能人の間でも、賞レースでは黒人を評価しなくてはいけないという観念にとらわれている人が多いんだろうね。
今回のグラミー賞の授賞式で最優秀レコード賞を2年連続で受賞したビリー・アイリッシュが“私ではなくメーガン・ザ・スタリオン(この日本語表記、違和感あるな…)が受賞すべきだった”みたいなことを言ったのも、そうした米国のエンタメ系の賞では黒人を評価すべしという圧力があることを潜在的に意識していたからだと思う。
話はアカデミー賞に戻るが、主演男優賞候補の5人のうち、チャドウィック以外の4人は全て作品賞ノミネート作品での演技を評価されての候補入りなんだよね。つまり、チャドウィックの候補入りの対象となった「マ・レイニーのブラックボトム」は作品としては凡作ということでは?これだけ、ポリコレ色の強い受賞・ノミネート結果なのに作品賞候補にならないってことはそういうことでしょ。
「映画自体は凡作だけれどその作中で素晴らしい演技を見せた俳優」と、「名作・傑作・佳作と呼ばれる作品で素晴らしい演技を見せた俳優」。
そのどちらを評価すべきかと聞かれれば、ほとんどの人が後者を選ぶはず。
だから、アンソニー・ホプキンスの主演男優賞はおかしくないんだよ。
まぁ、授賞式会場にも中継先にも本人が不在で盛り上がらなかったという部分は否定できないが、それは、主演男優賞を中継番組の最後に発表するなんていう、映画に対するリスペクトも何もないようなことをやったからバチが当たったんだよとしか言えないかな。
そして、実際に本作を鑑賞してみたら、これはアンソニー・ホプキンスの主演男優賞受賞は納得の演技だった。
黒人が受賞しないからという理由で受賞結果に文句をつけている連中には、エンタメやアートを語る資格はないよ!
彼にとっては「羊たちの沈黙」以来29年ぶりのアカデミー主演男優賞受賞となったが、「羊たちの沈黙」をはじめ、「ハワーズ・エンド」や「日の名残り」、「永遠の愛に生きて」などの賞レースを賑わせた90年代の作品って、50代の時の出演作品だったのか…。
当時からおじいちゃんイメージあったよね…。
約30年前の50代と今の50代って、全然、雰囲気が違うというのを実感…。
それにしてもすごい作品だった。
認知症の父親と介護する娘、それぞれの苦悩を描いたよくある社会派ヒューマンドラマかと思ったら、そうじゃないんだよね。
シーンが変わるたびに前のシーンとの整合性が取れなくなっているし、父親を含めた登場人物の言動が誰一人として一致しない。また、アニメや特撮ものでもないのに、娘がやたらと同じ服を着ているシーンが多いという不自然な描写も目立つ。それどころか、途中では明らかに娘が別人になっている。それから、娘が父親の首を締めようとする場面もあるし、さらには、同じ会話のやりとりがループしているシーンもある。
はっきり言って、これはホラーだよね。
要は認知症で記憶や思考が曖昧になっている父親の視点で描写しているから、こういう構成になっているってことなんだろうけれど、そのシーンごとによって言動が変わる認知症の父親を演じたわけだから、そりゃ、アンソニー・ホプキンスは誰が見てもアカデミー主演男優賞受賞の演技でしょって思う。
そういえば、今回のアカデミー賞授賞式の中継では、演技部門のノミネートの振り返りで候補者の演技シーンを一切インサートしないことが話題となったが、あれを日本でやったらプロデューサーが「映画の話をしているのに映画の映像をインサートしないなんてありえない。そんな演出をするディレクターは今すぐ辞めろ!」って発狂しそうだよね。
でも、米国では「会場で今、リアルタイムで進行しているものを見せなきゃ生放送する意味がない」って感じでプロデューサーがGOを出すんだろうね。
日本のテレビって、スタジオ回しや中継回しができるディレクターよりもVTR編集ができるディレクターの方が格上。しかも、VTRでも、資料映像や提供素材など、ありものを編集するディレクターよりも、自前でロケした映像を編集するディレクターの方が偉いって信仰があるから生放送番組でもやたらとインサートが多くなるんだよね。
現にWOWOWのアカデミー賞授賞式の中継では現地のCMタイムに自前で取材したインタビュー映像とかがやたらと入っていたからね。
そういう日米テレビマンのベクトルの違いってのも今回のアカデミー賞授賞式ではよく分かったと思う。
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