彼女
Netflixオリジナルの“日本映画”「彼女」をやっと鑑賞した。
原作ファンやミニシアター系邦画好きは絶賛しているようだし、自分も駄作とは思わないが、物足りない作品だなとは思った。
その要因としてまずあげられるのはポリコレ描写かな。おそらく、普段、邦画しか見ないような人は本作をLGBTQや女性の権利、格差社会といった最近の本家のアカデミー賞の主要部門にノミネートされるために必要な要素が本格的に描かれた日本映画としてマンセーするかもしれない。
でも、今の行き過ぎたポリコレが蔓延する米国だったら、女優の性行為のシーンはきちんと描かないと思うんだよね。そういうシーンはあっても、乳首は見せないし、ましてや、本作のように長々としたものにはならない。正直なところ、本作はエログロ描写が目立ち、下世話な感じがした。まぁ、本作の廣木隆一監督がピンク映画出身だから、どうしてもそういう描写をしてしまうというのはあるとは思うが。
また、登場人物がレズとか、アル中といった不適切とされる言葉を連発するのもどうなんだろうかと思った。そういう言葉を差別される側の人間が発するのは問題ないという意見もあるが、ポリコレ意識を高めようというつもりで本作を作っていたとしたら、普通はそういう言葉は使わないはず。つまり、下世話な話を語ることが目的なんだと思う。要はピンク映画のアート版くらいの意識しかないのでは?
それから、女子高生キャラクターに“やらせて”って言わせるのも、現在の欧米的ポリコレからしたら、児童ポルノ扱いになると思う。
また、女性キャラクター(その女子高生キャラの後の姿だが)に“29歳にして処女を失った”みたいな台詞を言わせるのも、女性の処女性を神格化する。もしくは、アラサーになって、処女や童貞のままの人間をバカにする描写とも捉えられる。それって、全然、ポリコレじゃないよね。
さらに、結婚して子どもを生むのが幸せだみたいな主張をするキャラクターも出てくるが、それに対する反論もないので、LGBTQを単なるネタとして扱っているようにしか見えない。
というか、コレって、「テルマ&ルイーズ」をアップデートしようとしたけれど、日本ではいまだに、「テルマ&ルイーズ」が公開された30年前レベルのポリコレ意識すらないから、逆に同作よりも後退したポリコレ描写になってしまったって感じだよね。
結局、映倫とかテレビ局の考査とかを通さなくていい=表現に制限がないってのを、安易にエログロ描写に自由がある、差別的表現を使っても問題がないって、日本のクリエイターは捉えてしまうのが多いんだろうね。
先日授賞式が行われたアカデミー賞で受賞・ノミネートを果たしたネトフリ作品は多いが、それらの作品はほとんどが欧米のポリコレ基準で描かれた作品となっている。なのに、ネトフリが日本発で配信する作品になると、ポリコレ意識が一気に低下してしまうのは何故なのだろうか?
本作はそこまで酷くはないけれど、「全裸監督」なんてネトウヨ思想のAV監督をマンセーしているし、「テラスハウス」では出演者を自殺に追い込んでしまったしね。ポリコレはどこへ?って感じだしね。
松本人志や三浦瑠麗をCMに使ったアマゾンプライムや、自民党に批判的なつぶやきをした人をBANするツイッターもそうだけれど、海外ではポリコレ至上主義の企業が日本に来るとアンチポリコレになる現象って、なんなんだろうかね?
まぁ、そういうポリコレ描写云々を抜きにしても、本作はご都合主義だらけで絶賛できる内容ではないが。
人を殺してきたばかりの主人公を“依頼主”の元同級生が簡単に路上で発見できたのは何故?
いくら無人駅とはいえ、逃避行中の2人が長々と駅に居座れるわけないでしょ?本当、話が練られていない。
それから、テンポも悪い。冒頭に長々と主人公がタクシーを降りてからバーに入り、殺害するターゲットを見つけ、その人物に酒をおごるまでがワンカットで描かれているが、全然、必然性を感じない。
あと、やたらと車で移動するシーンが何度も登場するが、そのほとんどがやたらと長々としたものであり、テンポを悪くしていると思う。
テレビ放送の場合は放送フォーマットに合わせなくてはいけない。
劇場映画はテレビよりは尺に自由があるけれど、1日3回しか上映できない尺よりは4回上映できる尺の方が歓迎されるから、できれば、長くても2時間ちょっとまでに収めた方がいい。
そういうのがあるが、配信作品は各々が好きな時間に見るし、途中で中断して、続きを後で見るという鑑賞方法をとる人もいる。
だから、尺はそんなに気にされないというのはあるけれど、それは別にダラダラ描いていいというものではないと思う。
全体的に、ここで終わりかなと思ったら、また別のシーンになって、また同じようなことが繰り返されるみたいなことが多いのも難点だと思う。
映画ではなく、ドラマシリーズとしてやった方が良かったのではないかと思ったかな。
あと、音楽の使い方も効果があるとは思わなかったかな。最初の方は細野晴臣バージョンの「スマイル」とかジャジーでアダルトなテイストの楽曲を流していて、作品のアダルトな雰囲気を醸し出そうとしているのかなと思ったが、ノラ・ジョーンズがかかったあたりからは使用楽曲はBGM扱いになり、楽曲の路線が変わるカーディガンズ「ラヴフール」なんかは完全に効果音がわり。
そして、ここまで洋楽路線だったのに、終盤ではYUIの「CHE.R.RY」をメインの2人が歌い出してしまうというチグハグさ。
まぁ、この2人が女子高生時代に流行っていたラブ・ソングとして使ったんだろうけれどね。
結局、ネトフリで予算があるから好きな曲を惜しみなく使えましたってだけにしか思えないんだよね。
まぁ、通常の邦画や日本のテレビドラマよりも予算やスケジュールに余裕があるネトフリ作品のおかげて、映像面ではしょぼさを感じることはなかったけれどね。
K's cinemaでかかるミニシアター系邦画みたいな内容なのに(同じ新宿系のミニシアターでもテアトル新宿や新宿武蔵野館よりもK's cinemaの方が下世話な作品が多いし)、暗い画面になっていないのはネトフリ予算のおかげだろうね。
ところで、本作では主人公の高校生時代を南沙良が演じているが、彼女はまた、作中で制服姿を披露している!
去年から今年にかけて公開された出演映画、放送されたテレビドラマの全てで制服姿になっているからね。
まぁ、可愛いからいいんですけれどね。というか、本作を見ようと思った動機は彼女だし。
そして思った。南沙良って水原希子とルックスも話し方も似ているんだな…。何の違和感もなく水原希子の約10年前を演じていたしね。
なのに、今まで南沙良は好きなのに水原希子に興味がなかったのは何故なんだろうか?ちなみに私はネトウヨではありません。
あと、ゲスの極み乙女。のドラマーでもある、さとうほなみの不思議な魅力も良かった。可愛いと思うシーンも結構あるしね。というか、ミュージシャンなのに、濡れ場もやるんだな…。
最後に一言。ネトフリって、次に見るオススメ作品を自動再生しないように設定していても、エンド・クレジットになると、小窓サイズに縮小されてしまい、オススメ作品の広告画面を見させられるんだよね。本当、作品に対する愛情がないよ、この会社は。そういう会社がアカデミー賞とかの賞レースに映画会社ぶって参戦しているのって許しがたいな。
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