倭が新羅から嫁?!をもらっていただと?

倭国王、使を遣わし、子の為に婚を求む阿飡急利の女を以て之に送る。第二、訖解尼師今三年三月(312年4月)

→西暦312年4月、倭国王は、外交使を派遣し、子供を授かる為に、新羅に通婚を要求してきた。新羅国第16代王の訖解尼師今は、第六等官の急利の娘を、倭国王に差し出した。

拝みて、阿飡急利を伊飡と為す。第二、訖解尼師今五年正月(314年2月)

→314年2月(旧正月)、新羅国第16代王の訖解尼師今は、第6等官の急利を第2等官に昇進させた。

衝撃的な通婚

倭国側が通婚を要求したそうです。

なぜ外国から嫁を?

鉄山の利権確保と輸送路の安定化でしょう。3世紀代末までは、倭国と新羅はガンガン戦争してました。300年に話し合いがあったので、そのあたりから武力路線から対話路線に転換したものと見られます。

なんで倭国王に対して6等官の娘?

たまたま、当時第6等官であった急利に年頃の娘がいたからでしょう。「宮廷内で年頃の娘を持つ者はおらんか?」みたいな話があったかもしれません。後に昇進することからして、王から可愛がられていた優秀な官僚だったとも考えられます。

でも子供という理由が?

もちろん正しいことだと思います。ただし、建前でしょう。鉄山の利権と輸送路の安定化はもっと重要な理由でした。倭国の有力者らに年頃の娘がいないことなどないはずです。

政略結婚

あと、王様は一夫多妻制で、日本書紀の天皇方も多くの姫たちを娶っております。今回は、「嫁がいない」からではなく「戦略的にさらに新羅からも」嫁をもらうという構図なのでしょう。親戚同士となってしまえば、話し合いは途方もなく楽になります。

その後

ただ、後で、再び通婚要求のあとに、拒否されて断交するんですけどね。

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