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闇が暴かれた(持統天皇の本意)(関裕二氏)

晴れた日に天の香久山で洗濯物干しますか?説を唱えた梅澤恵美子氏、説を採用した関裕二。彼らの説とは?

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本日の説

「春過ぎて夏来たるらし白袴の衣乾したり天の香久山」とは、「天の羽衣伝承」であり、歌の真意は、「あの白袴の衣を今奪ってしまえば、天女は身動きが取れなくなってしまう」である。持統天皇が誰の羽衣を奪おうとしたのかというと、「飛鳥の蘇我の王家」であった。羽衣とは、蘇我系天武王家の神宝であった。標的は、天武王家であった。 

根拠(春過ぎて〜)

天香久山は、ヤマトを代表する霊山であり、古くは人の入る場所ではなかった。天皇家も頼りにする霊山であれば、洗濯物を干すなどありえないこと。にもかかわらず、持統天皇は平気で「あそこに白い衣が干してある」と歌っている。常識ではおかしいため、例え話だと言える。丹後の天羽衣伝承がピタリと合う。

根拠(歌の真意)

丹後の天の羽衣伝承では、天香久山で天女が沐浴をしていて、あられもない格好でいるとなっている。つまり、あの白袴の衣を今奪ってしまえば天女の身動きが取れなくなってしまう。ならば、今奪ってしまおうという意味になる。

根拠(狙われたのが天武王家である)

天の羽衣伝承の主人公とは、豊受大神である。当然、合理的に説明できるには、豊受大神に関わる人間でなければならない。7世紀の蘇我系の皇族の名には、天の羽衣伝承の主人公である豊受大神の名前の一部の「トヨ」が付けられていた。聖徳太子「トヨトミミ」、推古天皇「トヨミケ」など。天武天皇の諡号は、「天渟中原瀛真人天皇」=「あまの、ヌナはら、おきの、まひとの、すめらみこと」である。渟中(ヌナ)はヒスイのこと。伝承では、豊受大神は日治(ひじ)の真名井(マナイ)で沐浴していたところで羽衣を盗まれている。真名井(マナイ)は、「マヌナイ」であって、「ヌナ=ヒスイの井戸」である。つまり天武天皇も飛鳥の蘇我王家のように「トヨ」とつながりがあるとなる。天の羽衣伝承の中で、沐浴していたところ羽衣を盗まれたのは、「春過ぎて〜」の歌に当てはめると、天武天皇(持統天皇の旦那さん)となる。

(以上、鷹原王が要約と修正、意図を汲んで加筆しました)


所見

もう驚きが隠せない。かといって否定できないし。うーん。信じたくなっちゃう。蘇我王家=「トヨ」。詳細に調べないと確実に言えないところだけど、ここは引用なので、元ネタではもっと詳細に説明されているんだろうなと思います。ここはあえて信頼しておきましょう。

今回あえて書かなかったことがあって、

300も前の神功皇后を「トヨ」としていました。神功皇后は「おきながたらしひめ」です。トヨ的な要素が含まれるのは滞在した山口県の「豊浦宮」です。あまり繋がりが理解できないです。論理の飛躍と個人的には感じました。

感想

今回の説は、かなりしっかりと論理が建てられています。論理の飛躍というほどはなかったので、一応、今のところ信頼しといていいのかなと思います。関裕二の論理の代表的な部分です。

ふと思ったこと

(天武)死して子の総持立つ。『新唐書』日本伝

古田史学の人の中で確か、総持天皇がいたとする説があったと思います。持統天皇は、(持統天皇元年ではなく)、持統天皇三年に即位しています。ということは、持統天皇元年とは?本来、総持天皇元年なのでは? 持統天皇の元年と二年は皇位の空白であったと日本書紀には書かれています。この2年分気になるなあ。2年目で要はクーデターを起こして政権を奪取したってことなのか? 総持天皇説については、関裕二氏は特に扱っていたいなかったと思います。ああ、一体どうなっているんだ。真実はいつもひとつ❗️なはずですけど笑。後々わかってくるでしょう。

参考文献

引用枠の引用元が書かれていないものはすべて↑上記の参考文献から引用しております。なお、文意を要約、取捨、選択、加筆を行なっています。著者の趣旨と違えている場合があります、その場合ご了承ください。


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