「卑弥呼」の方が早かった!?
「漢倭奴国王」よりも早い?あれは57年だったはずなのに。「卑弥呼」の方が早い!?
今回のカラクリは、
歴史書が書かれた年代にありました?
整理タイム!
そもそも
卑弥呼が書かれている歴史書とは『三国史魏志倭人伝』のことでした。
一方で、
「漢倭奴国王」の金印をもらったことが書かれている歴史書とは、「後漢書」のことでした。
書かれたのはいつだ?
「魏志倭人伝」は3世紀末、280〜297年に書かれました。
『後漢書』は、5世紀中旬、432〜445年に書かれています。
これが差
なるほど、「魏志倭人伝」と『後漢書』で150年近くの差があるのか!
魏志の方が、書かれてるのが古いわけですなあ。
ウソでたらめではありません
もちろん、資料は当然、後漢書が元にした資料の方が、古いわけです。
しかし、記録を歴史書にまとめることはタイヘンなことです。
文章の構成を考えて、さらに書道で書かないといけないです。
さらに、全部漢字です。知らないでは務まりません。
しかも、高度な文章力が要求されます。
今回は卑弥呼が書かれている『魏志倭人伝』の方が、『漢倭奴国王』の書かれている『後漢書』よりも成立が早かったのだということでした。
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