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彫刻家のつくる壁画

2023年も7月になった。
僕は去年、東北の沿岸で3枚のでかい壁画を描いた事を通してたくさんの経験をした。その時に考えて得たことは数え切れないほどあったが、それらは日を経るごとに形を変えてしまう。それが超エキサイティングで楽しくて、思考に没頭しては、昨日の考えを更新していってしまう日々。
壁画は毎年描いて増やしていく予定で、今年の壁画の制作は9月スタート。緊張感もゾクゾクと増してきた今日このごろ。
その緊張感の出どころは、このビッグネスでヒューモンガスな大壁画、果てのないその作品制作に起因する。

とはいえ、
そんな制作のアゲなテンションとは相反して冷静な時間も必要なわけで。
去年の反省、というか肌感は、被災地と防潮堤という復興的な文脈により、プロジェクトに関して「なんかいいことしてるね感」が前に出てしまったこと。
それは、壁画を描くまでに3年間の現地でのコニュニケーションや準備期間を要した中で何度か失敗も経験していたので、露出する際などの言葉選びもデリケートだったし、配慮を欠かさないで計画を進める上で形成されたものだった。

震災後に建てられた防潮堤に関しては、本当にたくさんの問題や軋轢を町に残してきた事を知っている。し、よそ者である自分がその対象となる場で制作をするということに否定の意見がないわけないことも弁えている。
そのような町の現状に対して否定とか賛成とか良いとか悪いとかの二元的な解釈や姿勢でいないため(判断しきれないため)、見る人によっては自分の存在が都合の良いor悪い人になる。
でも僕は今、3枚の壁画を作ってきて、いろんな批判を恐れず本音を言えば、シンプルに「おもしろいからやっている」、正直、それだけに尽きる。
そんな「自己満足」な「アート」が炎上の格好のワードになることもわかるけど、自己満足じゃない生き方って何だっけ?と考えてみても、全ては自己満足では、というところに必ず行き当たってしまうし、反対に、そんな生き方があるのだとしても、僕はそこに幸せそうな景色をこれっぽちも想像できなかった。

直接会える人にはこうやって正直に話してきたけど、会える人の数は限られている。だからこうやって発信していこうと決めた。
という経緯がありつつも、この制作のどこにそんなにも惹かれて、なぜそんなにもおもしろいか、を知ってもらいたいと思ったのが、ここで文章を綴って残していこうと決めた1番の理由。
(それと、思考がどんどん形を変えていってしまうため、備忘録的にも残したいと思っているというのもある。)

そして、このテキストなのか、インスタの画像なのか、テレビなのか新聞なのか雑誌なのかわからないけれど、この作品について誰かの目に留まったその時に「いつか観に行きたい」と思ってもらうこと、そして「気にかけてもらう」ことがこの作品に関しては最重要だと、一緒にこのプロジェクトをやっている窓さん(高橋窓太郎)といつも二人で話している。

なぜなら、「この壁画群が世界遺産にもなり得る」と僕らは信じているからだ。今のこの、アートが投資対象みたいに多く言われる時代、このロマンとダイナミズムで作品を作るアーティストが他にいるか?

と、つらつらとプロローグ的になってきたが、初投稿なので自分の紹介を少しばかり書いて今回は終わろうかと。

僕は素材を扱い、立体を言語として表現する彫刻家だ。
これまでは主に骨折した時に患部を固定するギプス(石膏)を使って、人型の立体作品や、同じ技法で作ったキャンバスにペインティングをしたりして、ギャラリーや美術館で展示をしてきた。
なぜギプスなのか、を超簡単に話すと、永続性が絡んだ前時代的な、金属とか石とかで作られた偉そうな彫刻って全くリアリティがなくて、どちらかというと翻弄される弱者的な側面を持つ、逡巡に富む「弱い彫刻」作りたいなと学生時代に考えていたのがきっかけ。
ギプスは、傷を受けた後の治癒とか保護とかフリーズしなくちゃいけない感じだったりとか、圧力の出元が向こうに見える素材だと僕は捉えている。
つまり素材を介することによって、存在が匂うというのが自分にはまって扱うようになった。

solo exhibition "The Plaster Age" , 2021 ,MAHO KUBOTA GALLERY , photo:Keizo Kioku

逆にいうと、ベースとなる支持体の素材に”意味”がないと、惹かれないし、手をつけたくないというのがあるせいで、僕は一般的なフォーマットである布のキャンバスに油絵を描く、みたいなことが未だに出来ずじまいだ。自分の平面作品をペインティングとして捉えられずに、彫刻として認識してしまうのもそれに関係しているのだと思う。

学生時代の、初めて売れた作品 courtesy of MAHO KUBOTA GALLERY


つまり、物質とイメージの間につながりを持つことが必要不可欠なわけで。
だから、防潮堤という自然の大きな脅威と人為的なある種の暴力性が生んだヒューマンスケールを超えたオブジェクトに対して僕が作品を制作するということが、これまでのアートワークと地続きであり、最大化させられる解の一つなのだと自負している。
考え方によってはこれまで作ってきた数千の作品の現時点での終着点は、この壁画作品にあるんじゃないかともないかと、よぎる事すらあるほどに。

海岸線の美術館 壁画2「A Fisherman | 漁師」制作風景

芸術は今日までの長い歴史において、生と死の間、もしくは死後のあちら側を多くの主題としてきた。そうして残され、過去と未来をつなぐことで連続性を認め、そこへと向かっていく力を現時代に示していくのだ。
芸術家の手や頭には制作と同時に、死後の想定が並行して付いてまわる。
だから最低限、存在させることと同時に残すことや保存や管理についても責任を持ちながら思考を巡らせてこだわって制作している。
「どうせすぐボロボロにー」とかって書き込むSNSやヤフコメの人たちは、検索すればトップヒットするホームページにすら管理体制や材質について書いてあるんだから少しは調べてから物言おうぜ、と思っちゃったりもする。
とはいえ、これは誰も想像できない先のことについての話だ。自分の今の理解・見解に固定ですがっていても、「彼ら」の「動かず指先で語るだけ」状態と何も変わらない。そうなってしまうのがイヤだ。

ということがあったりなかったり、で、つい先日、紀元前である今から2000年以上前から残るインドの壁画を見に行ってきた。次の執筆ではその旅について書きたいなと思う。

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