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ヘキガとハガキ
私は毎日絵ハガキを描いていますが、それは単なる日々の制作ではなく、巨大な壁画制作に向けた重要な練習です。特に、私が描く壁画は防潮堤に制作されるもので、人間と自然、生と死の境界に位置する水際の非常にセンシティブな場所に描かれます。そのために私には常に強い責任感が伴います。
壁画は公共の場にあり、地元の住民が毎日それを目にしているため、私自身も毎日そのことを考え続けるべきだと感じています。ですので、住民が朝晩の通退勤で2回壁画を目にすると想定して、私も毎日午前午後で2枚描いています。
壁画を描くことは、一発勝負の緊張感を伴う行為であり、準備もプロセスも結果も同じくらい重要です。制作には高い集中力と体力が求められ、技術だけではなく、スポーツのようなフィジカルな側面も不可欠です。だからこそ、私は毎日の絵ハガキ制作を通じて、この準備を怠らないようにしています。絵ハガキを描くことは、壁画という大きな作品制作に向けた日々のトレーニングであり、技術や「描く」体力、メンタルを養うための大切なプロセスです。
壁面という大きなものに会いに行く、という点で「大会」に望む姿勢に近いものがあります。
これが、私が日々「今日の練習」と題して絵ハガキを描き続ける理由です。
また、私は絵ハガキと壁画という二つのメディアの大衆性に共通点を感じています。壁画は公共の場にあり、多くの人々が日常的に目にするもので、芸術が社会の中に存在するという図式を体現しています。同様に、絵葉書も手軽に手に取ることができ、多くの人々に届けることができる大衆的なメディアです。モンマルトルの画家モーリス・ユトリロは、世界恐慌の時代にピカソやモディリアーニなど他の画家たちが作品を売るのに苦労する中、自ら描いた絵ハガキだけが売れ続けたという逸話があります。彼の作品は、日常的な風景を簡潔に捉え、大衆に深く響くものでした。私も、こうした大衆性を意識し、絵ハガキを通じて自分の考えやイメージを広く届けています。
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壁画のように大きなスケールであろうと、絵ハガキのように小さなスケールであろうと、どちらも私にとっては大切な「大衆との対話」の場であり、そこに共通する価値を見出しています。
ある意味それぞれ「小さな壁画」「大きな絵ハガキ」であり、人間の営みに密接な作品です。
ひとの生活ありきの作品、ぜひいつか生でご覧ください。
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また、ヘッダー画像である
"壁画のある風景画"を描くシリーズを20部のみ、クラファンのリターンでご用意させていただきました。ぜひご覧ください!
https://readyfor.jp/contributions/seawall_museum_ogatsu?reward_detail=&select_id=369780