2021年6月の読書振り返り
6月はわりと渋谷に出社することが多かった。ちょっと疲れた。通勤って疲れるんだなと思ったけど、この程度で疲れるってことは運動不足だな...とも。まぁけど物理出社ってのは良いものだな。
暖かくなってくるとネコが夜に騒ぐ傾向がある。その対策として、靴箱の上に座布団ひいて、その下で本を読むと、ネコがその座布団の上で落ち着く。なので夏場の読書量は増える傾向がある。今月は8冊。
ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか
「第一次世界大戦の賠償金問題から生活が困窮し、過激思想に寄っていった」というふうにナチスの台頭をとらえていたのだが、まぁ確かにそういう面はもちろんあるのだが、それだけではないことを本書は書いている。
過去の栄光(開戦時の高揚感)を引きずり、敗戦の理由をありもしない理由にスケープゴートした高官たち。特にヒンデンブルクとパーペンは散々に書かれているし、実際そうなんだろう。ヒンデンブルクはヒトラーに利用されただけと思ってたが違うんだな。
ヒンデンブルクらの思惑に左右されながらも頑張った首相達の存在も初めて知った。WW1からWW2までのドイツの混乱がよくわかる一冊だった。そして「保身に全力をそそぐ人」って怖いなと思った。
女たちの王国: 「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす
雲南から四川にかけて住む納西族のモソ人の話。シンガポールの国際的弁護士事務所で成功をつかんだフェミニストの女性が、モソに魅せられてのめり込んでいくという話。弁護士事務所を早期リタイアして、モソの村に別荘を建てて住みこむ入れ込みよう。今も昔ながらの生活スタイルを守るモソの人の暮らしは読んでて驚きの連続であった。
モソは世界でも珍しい家母長制で成立している。儒教の影響で家父長制が強い中国の中で存在しているというのも面白い。前に北魏の本を読んだ際に「女性の活躍」のようなことが書いてあったが、中華周辺の儒教の影響を受けてない民族は、昔から女性の地位が比較的高いのかもしれない。
まぁそんなモソも文明化が急激に進んでいると最後に書かれている。モソの家母長制もあと数十年で跡形も無くなってしまうかもしれない。世界的には家父長制からニュートラルな社会になりつつ傾向があるが、中国ではおそらくその流れはこないだろうなぁ。
オスマン帝国はなぜ崩壊したのか
多民族、多宗教を600年も束ねてきたオスマン帝国。よくよく考えるとすごいことだなと本書を読んで改めて思った。オスマン帝国が支配していた領土は今日紛争が多発している。オスマンが(実はたくさん紛争あったかもしれないが)ある程度平和に統治できたのは、よくも悪くも「ルーズ」だったからかもしれない。良い言葉でいえば「寛容」。
長い繁栄にあぐらをかいで、西洋の産業革命などを見向きもせずに停滞した結果、19世紀に一気に瓦解した。そこにはオスマン高官のプライドからくる慢心、怠惰があった。これはどの国でも同じですね。
瀕死のオスマンを救うべく、若いエリートは策をめぐらすも、結局は多民族多宗教を抱える国を一つの方向に持っていくのは難しかったのだなと。トルコ国内では現在も各地で紛争が存在する。トルコ統治の難しさを表してる。
女性差別はどう作られてきたか
『女たちの王国』で家母長制社会を見たが、この本では世界のほとんどが「採用」している家父長制によって、女性差別がどのように作られたかが説明されている。政治や宗教を用いながら都合の良いように家父長制が社会に組み込まれていったんだなぁと改めて感じた。
社会的秩序は男性によって作られているので、女性たちがそれに反し自分の考えに従って行動すると、それは無秩序とみなされてしまう。しかしそれは女性にとっての秩序なのだという意味を持っています。
文中で紹介されているペイトマン『女性たちの無秩序』からの一節。まさにその通りだなと。僕もかつてはこういった感情を持っていた気がする。しかし、少しづつ勉強するにつれて、こうした考えは薄れていったので、知識を得ていくというのは重要だなと思う。
フィンランドでお神輿を
浜松北部の都田にある都田建設の社長蓬台浩明氏の著書。氏の幼少期から現在までの歩みを軸に、都田建設が大切にしてる想いや取り組んでいることについて書かれている本。題名は「フィンランド」ではあるが、基本的には浜松の話。ちょっとミスリードかなぁとも。
浜松の田舎町である都田で彼ら彼女らが取り組んでいること、成し遂げていることは本当にすごいなと思う。地方活性化の参考になる。去年に糸島躍進のことが書かれた本を読んだし、5月には会津の取り組みの本も読んだ。
これらに共通してるのは、ただ単純に工場やコールセンターなどを誘致して雇用を促進するみたいなことではなく、何らかの価値を創出し、地域を活性化しようとしているとこ。そういったマインド、行動が一過性ではなく中長期での発展に寄与していくと思う。地方創生こそ、ビジョンが必要。
フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔
何気なくツイートしたら100近くのファボがついてしまったが、この「11歳」が本書の主役フォン・ノイマン。天才数学者フォン・ノイマンの生涯を綴った内容だが、とにかく天才性がすごい(語彙)。「ノイマンは地球人を超えている。火星人だ」と言われたりしてたみたいだが、そう感じてしまうのも無理はない。圧倒的な頭脳。
彼らの周囲の学者たちも彼に負けないくらいの頭脳の持ち主ばかり。アインシュタイン、ヒルベルト、ウィグナー、ゲーデル、フェルミ...そうそうたる天才が次々に登場してくるので、それだけでもテンション上がる。
しかし、なんていうか、人間の頭脳というのは人によって様々で不公平だなって思いました...笑
(本書、「先に述べたとおりだが」といった記述が多すぎるのが難点。別にそれスルーしてもいいのではないだろうか...)
犯罪者の心のなかでは何が起きているのか
イギリスの司法心理学者ケリー・デインズさんの回想録。「内容の重さと口調の軽さが気になる」といった趣旨のレビューが散見されていたが、たしかに最初は少し気になるが、慣れるので個人的には問題なかった。
僕はこの手の領域が好きではあるが、多くの本は犯罪の手口や内容のウェイトが大きいのだが、この本は「どういう人が」「どうしてそうなったのか」といった犯罪の事前の情報、そして犯罪後の、彼女のやりとりの描写がメインなので良かった。
イラストで学ぶジェンダーのはなし
フェミニズム的な知識は少しづつ勉強しているが、ジェンダー全体のことは正直全くわからない。なので本書を読んでみることにした。イラストが豊富なので初心者にはとっつきやすいのではなかろうか。
とはいえ、なかなかに難解な内容だった。まず用語が覚えられない。都度都度用語集を見ながら読み進める必要があった。用語を知ることは重要ではあるが、それよりも世の中には様々なジェンダーがいることを認識することの方が重要なのだろうなと思った。
カテゴライズではなくグラデーションで考えるのは大切で、それが多様性を許容し、個性を尊重し、ひいては各自の才能を開花させる一助になる。そう思った。
僕は幼少期、絵画やピアノを習いたかったが、「お兄ちゃんは(やらなくて)いいでしょ」と妹がピアノを習うことになった。特に我が家では「男の子だから〜」というのは無かったが、それでもこういう事例はある。きっと世界中でたくさんの事例があるのだろう。
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