スポーツビジネスに進むきっかけ(その2)
前回は私がスポーツビジネスに進むきっかけとなった事柄の1つ目について途中まで書きました。(きっかけは全部で2つあります。そしてそれが不連続でつながっています...)
今回はその1つ目のきっかけの続きになります。
Jリーグクラブへのインタビュー
慶応ビジネススクールの修士論文でスポーツビジネスについて何か書こう思った私は、Jリーグが開幕して(1993年)からもうすぐ10年が経つことに思い至りました。加えてサッカーといえば、2002年にはFIFAワールドカップが日本と韓国で共催されることになっていました。
1993年にスタートしたJリーグは当初順調にいっているように見えていましたが、私には約10年経過したということで人々の関心は徐々に薄れているように思えました。けれどもFIFAワールドカップがあるのでサッカー人気だけは顕在化しているという状態でした。
私は「FIFAワールドカップ2002の後はどうなるんだろう。(このまま何もしなければ)もしかしたらガクンと落ちるんじゃないか」、そういう仮説を立てました。人気のバロメーターともいえる観客動員数のグラフを見ても、そのような懸念をしてしまうようなグラフになっていたのです。
Jリーグはご存知の通り経営情報の公開に力を入れています。(下記のサイトでJリーグ自体の経営情報と各クラブの経営情報が細かく開示されています)
論文を書く際にはこれが非常に大事で、経営学の論文なので具体的な数値が入ってないと面白いものにはならないという確信がありました。このようなことから、私はJリーグを題材にして論文を書こうと決めました。
まずは現場の意見を聞こう。インタビューの対象としたクラブはFC東京と川崎フロンターレです。理由は簡単。住んでいた武蔵小杉に近かったからです。(FC東京から話が聞けたのは小平ではなく深川でしたが...)
慶応ビジネススクールの校舎は日吉にあり、私はそこから東急東横線で2駅の武蔵小杉にあるトーメンの社宅に住んでいました。当時FC東京はJ1、川崎フロンターレはJ2ということで、カテゴリーの違うクラブに話を聞くというのも良いと思いました。
そこで感じたこと
何を聞いたのか?
今なら現実に沿った実務上で聞きたいことが山のように湧いてきますが、当時は経営学を必死に学んでいた大学院生でしたので、ピュアというか何というか、セオリーに凝り固まっていたかもしれません。質疑応答の内容は相手もあることなので詳しく書けないのですが、一例だけ言うと、社員の勤務体制について、川崎フロンターレでは富士通からの出向者がほとんどで勤務体系も富士通のルールに則っている。だから土日出勤がむずかしいのだと。サッカーは土日に試合があるので、そんなのダメでしょうというと、そうなんですよねー、と返答がある。
そんなんダメやん、考えればわかるやん。そのレベルの問答が延々となされたのでした。当時、ホームである等々力競技場はガラガラでナイターの明かりがいつも物悲しく映っていました。市内にあるグッズショップには閑古鳥が泣いていました。
当時の川崎フロンターレなら仕方ないと思うでしょうか。J2だったし。でもね、本格的に経営学を学んだ大学院生からみるとFC東京も似たようなものでしたよ。インタビューした時、Jリーグ開幕から10年近く経過していても、東京ガスの影響がまだまだ色濃く感じられました。
私は「スポーツチームは変わることができる」と信じていますが、それはこの時の川崎フロンターレのダメダメさから現在の素晴らしいクラブになった川崎フロンターレの両方を知っているからこそ、そう言えるのです。そういう意味では(今思えば)いい経験をさせてもらったのだと思います。
根拠なき自信
10年たったJリーグでも、まだちゃんとクラブ経営はできていない。
だったら「自分でやった方がちゃんとできるんじゃないか?」
若いとは恐ろしいものでJリーグクラブへのインタビューを終えた後、何となくですがそんな根拠なき自信のようなものを感じたことを思い出します。経営のセオリーはビジネススクールできちんと学んだ。でもスポーツの現場ではそれができていない。
でもその時はただそう感じただけでした。自分がこの先スポーツビジネスに進もうとは露ほども思っていませんでした。ただ振り返ると、これが私がスポーツビジネスに進む1つ目の潜在的なきっかけとなりました。実際に最初に選んだ先がサッカーのV・ファーレン長崎だったのは、修士論文を書いてJリーグを多少知った気になっていたからだと思います。
ちなみにその時できた論文(要旨のみ)はこちらです。(本邦初公開『Jリーグの経営ーエンタテイメントビジネスのマネジメント』2枚目に論文要旨があります)
Jリーグを題材にして論文を書いたことは、この時点ではまだ潜在的なきっかけです。何せ修士論文を仕上げてMBAを取った暁には、ビジネススクールに会社から派遣してくれたトーメンに戻って精一杯会社に貢献するんだと信じていましたから。
次回は2つ目のきっかけについて書きますね。それはこれから数年後のことになります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。