とうとう出版社を退職しました④
いっこうに思い出話から前にすすまない退職シリーズ、奇しくもこのタイミングで昔の編集部の仲間たちと話す機会もあったりして、いろいろと記憶が甦りすぎて、あれもこれも書きたいことが溢れてきていますが、ちょっとそれはまた別の機会までひとまず取っておくことにして、先へ進むのです
転職の誘いを受けても定まらない気持ち
そのようなわけで今後、今の環境のままやりたいことのすべてを出しきれないフラストレーションを抱えて従順に会社の方針に合わせていくのか、満足できる仕事を求めて新しい場所を探していくのか、でもほぼゼロから共に成長してきた会社への愛着は容易に捨てきれない。そんな思いでいくら頭を巡らせても出てこない最適解をぐるぐると追い求めていた。この時期は本当にくるしくて、答えを見つけるために自己啓発セミナーに参加したこともあった。でもつまるところ「自分のやりたい仕事のありかた」そのものが漠然としたイメージしかなくて、明確なくっきりとした輪郭を捉えていなかったのだと思う。
不思議なことのにそのタイミングで、転職への誘いをいくつか同時にいただいた。そのうちふたつの企業からの誘いに僕の心は踊った。ひとつは中堅ではあるがメディアグループを親会社に持つ総合出版社、もうひとつは異業種からネットメディアに新規参入を目論む企業だった。このとき後者からは破格の条件を提示してもらい、妻も家族も一緒に社内見学にご招待してもらうなど本当にいたれりつくせりの対応をしてもらった。それを受けて僕の心もじゃあ心機一転まだ見ぬ仕事ではあるけれど自分の腕を新しいフィールドで試してみようと決まっていた。
ある晩、東京駅近くのイタリアンでその企業の社長さんと会食し、今後、中国にも進出、IPOも視野に入れているという青地図をおいしいお酒とお料理をいただきながら丁寧に説明してもらった。でも、その説明を聞きながら、なぜか心がすーっと沈んでいく自分がいた。
あれ?なんだこれは。転職がいよいよ本格的に動き出したことでブルーになっているのか?マリッジブルー的なものか?知らんけど。
帰り道、タクシーの後部座席から雨の大手町の景色を眺めていたら、なぜか涙がボロボとこぼれてきて止まらなくなった。ちょ、待って。俺どうした。あまりの意図しない心の反応に僕は激しく狼狽したのだった。
このとき僕ははじめて自分の本当の気持ちに気づいたのだった。やっぱり本が好きで雑誌を作りたい。しかも、出版の世界でもっと大きな挑戦がしたいのだということを。
もっとも今現在2024年の現在地から見るならば「あー、雑誌をめぐる環境はこれからどんどん厳しくなるよ。むしろネットメディアを新規参入でまだまだ黎明期からはじめていればとんでもない大化けだってありうるよ」なんてアドバイスもできるものだが、当時はまだスマホもない時代。自分の仕事のやり方だけで近視眼的になっている自分にはとてもそんな長期的な視野は持てなかったのだった。
結局、熱心に誘ってくれた社長にお詫びをして、僕は性懲りも無く転職先として総合出版社を選んだ。それはまだこのとき編集こそ自分の仕事、天職だと信じていたからだと思う。先に結論を決めてから家族にも説明した。
転職先の決め手はなんだったのか
メディアグループの出版社に決めた理由はそこが抱える人気雑誌のテコ入れをお願いしたいというオファーに大きなやりがいを感じたからというのも、もちろんなのだが、どこかにやはり小さなプロダクションで働いていたときのコンプレックスもあったように思う。名のある出版社の人間の影にかくれて展示会や発表会で遠慮がちにしていたあの思い。会社名を伝えた時に「は?」という顔をされて、これこれこういうものですと丁寧に説明してやっと理解してもらえたときのくやしさ。取材相手に渡した名刺をぽいと投げられたこともあったっけ。いつかあいつらも見返したい(小さいなあ俺。飛び込み営業で鍛えらた人からは甘すぎ!と言われちゃうね)ヤワだった僕は結局はそんな積年のかっこ悪い理由から決めたようにも思う。でも逆に今ならその気持ちも素直に受け止めて、それでよかったんだよと言ってあげることもできる。
あとは誘ってくれた人気雑誌の編集長の人柄もあった。とても優しくて、こころから僕のこれまでの仕事を認めてくれているのがわかった。この人となら一緒に仕事をしてもいいなと思わせてくれたのだった。
そんなこんなでまずはやっと1社目を退職しました。でもこれはもう随分前の話。まだまだ出版界の成長が鈍化したとはいえ、まさか現在のような状況を迎えるとは思いもよらなかったときの話だ。次回からはやっとその先にすすみます。もう少しお付き合いください