最も、今に近い頃まで操業していた鉱山
但馬地域で、最近(といっても40年ほど前)
まで掘っていた。
この頃の技術は土建の技術を尽くしている。
重機を使い掘り出す。
また鉱脈を探すのも緻密な計算の元、
試し掘りを行ってから採掘方法であった
■神子畑選鉱場
生野銀山から、生野駅に戻る。
ここからはバスで30分程移動したところに
あるのが、神子畑選鉱場である。
神子畑と明延を結んでいたのが一円電車
ということである。
料金が一円ということから
そうつけられた電車である。
一般の乗客も乗ることができたらしい。
ここの役割は、明延から運ばれてきた
石からスズなどを取り出すのがこの施設。
明延とは1,000m級の山の向こう側であり、
ここでも多くの人が働いていたことがわかる。
元々、神子畑も鉱山だったが取りつくして
しまい閉山する。
そして、明延で取れた石から鉱石を選別する
施設に生まれ変わったそうだ。
ただ、明延の閉山と共に運命を共にする。
■明延探検坑道
ここは、まるでインディジョーンズの
世界のよう。
ただ本物の鉱山跡
明延の鉱山見学は生野のように人形を
使っての再現をしているわけではない。
そこで、鉱山の見学は自由見学ではなく
ツアー形式でヘルメット着用が
義務付けられている。
ここは、最も後に閉山された鉱山である。
逆に言うと、最も最新式の
採掘方法だったということ。
以前では、鉱脈を掘り当てるのに
勘頼みであったのが
何本か、ボーリングなどで
(下向きだけでなく、さまざまな方向に)
いれ、かなり正確にどの位置にどのくらいの
鉱物があるか地層を見ながら
採掘していたとのこと。
昔と比べると相当効率的に採掘していた
ということだ。
また山を何層も掘るため、各層に運び出しようの
トロッコが通っていたとのことである。
山の中に運び出しようのトロッコだけで
550㎞もの延長になっていたとのことである。
また、最新ではさらに奥深くを10tトラックが
通れるようにループ状の道が付けられている
大空間があったそうだ。
まだ、そこには鉱物が眠っているそうだが
閉山当時の円高によって鉱物の価格低下が
起き閉山に追い込まれた。
なお、そんな奥深くに巨大な機材を
運んだのはエレベータであるが
部品を分解して地底で組み立てた
そうである。
そんな重機の多くが地底の奥深くに
湧き水に沈んでいるとのことだった。
■一円電車について
かつて、「明神電車(めいしんでんしゃ)」
という小さな電車が走っていた。
神子畑から明延を結んでいたことから
この名前を付けられた。
お客さんはホントに一円で乗れていた
ことからこのネーミングになった。
この明延から神子畑までは
鉱山と選鉱場を結ぶ電車だった。
選鉱場は、鉱石の混じった石を細かく
砕き鉱石を取り出す施設だ。
ただ、この間には大きな山が立ちはだかる。
この山の中をトンネルで通すことでほぼ
直線距離で結ばれた。
およそ6㎞。
途中は、明神トンネルと呼ばれていた。
今でも、この播磨地域では最も長いトンネルである。
今は、このトンネルが使われなくなってしまっていて
明神間を、ぐるっと大回りしなければならない。
1時間20分程かかってしまう。
約6㎞をトロッコは時速10㎞/hほどで走行していた。
40分程で結んでいたようである。
今の半分の時間で結んでいたということで
驚きである。
しかも、昭和の前半には完成しており、
その時代の技術力の高さは感服に値する。
明神のそれぞれに、かつて使われていいた
車両が展示されている。
明延の方は、動態保存されてい
て一周300mの専用線も作られている。
今は月1回程度運転会がなされ大人300円小人1円。
今でこそ、おとぎ列車みたいな感じだが、
乗客を乗せて長大トンネルを行き交っていたと
想像するとその価値がすごいことに気づく。
■まとめ
・兵庫県但馬南部地域の鉱山開発事業は想像を絶する規模
・この事業のため多くの雇用が生まれていた
・閉山と共に産業を失い今に至る
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