新幹線100系物語
この本は、東海道新幹線の歴史と100系新幹線電車の沿革を紐解いていくストーリー構成となっている。
100系の工夫
100系は、今のアコモデーション(居住性)の基礎を作ったといえる車両と考えられる。普通席の3列シートを回転できるようにする工夫、またシートピッチが広くなる分の定員確保の方法は工夫につぐ工夫で普通車の定員は16両編成で内13両の普通車の定員は以前の0系と同程度確保した。これは、0系から5㎝もシートピッチを伸ばしたにも拘わらずすごいことです。
元祖100系X編成
民営化前提の86年11月で量産車がデビュー。これが、2階食堂車連結のX編成ですね。その前年に試作車がデビューしてます。試作車は、唯一の小窓編成でした。
中距離用JR東海のG編成
民営化後はJR東海では、管内(東京ー新大阪)で主に運用する、編成を作成していきます。これが、食堂車をやめカフェテリアになったG編成です。これは最も量産された編成でした。
長距離仕様のJR西日本V編成
JR西日本は山陽新幹線内、10キロ速い230キロ走行可能な「グランドひかり」ことV編成をデビューさせます。これは、2階建てを2両から4両に増やしX編成と同様、食堂車を連結していました。また、階下をグリーン個室ではなく普通車指定席として2&2シートで展開しました。
100系の少ない弱点
このようにバリエーションの多い100系で、非常に楽しみを持つことができ趣味的にも面白いものでした。しかし、経営的には突発的な運用変更・フレキシブルな運用への対応、予備編成の確保など、コストが余分にかかることが判明し今では、できるだけ仕様は統一する動きになっていますね。
後輩の台頭で徐々に活躍の場から姿を消す
300系・700系といった最高270キロ以上の高速車両が登場すると、0系より少し上程度の性能の100系は足手纏いになっていきました。ほとんどが「こだま」での運用となり自慢の供食サービスの営業列車もわずかとなっていきました。JR西日本の0系の廃車を促すために東海から西日本に譲渡されたりもしました。西日本は、大量の短編成も作られたりしました。
私と100系の接点
私が、小学生のころのデビューでした。国鉄時代には希少価値が高く、またその頃は、何時に走っているかも知る手段がなかったので本で見る憧れの存在でした。0系しかなかった(東海道新幹線沿線)中に突如スターがやってきたといっても過言がないくらいの衝撃でした。そして、2階建て連結というアクセントも効いてますね。平成になると(私が中高生頃)希少価値が薄れてきて、何度か乗車する機会にも恵まれました。最近登場した、N700系のAとかSのデビューの時とは高揚感が違った気がします。
ホントにかけ心地が良く、アコモデーションも極めて洗練されていてシンプルながら時代の先をゆく感じがすごかったです。(これは0系が対象だから、よけいそう感じたかもしれません。)
山陽新幹線で乗った回数が多く、X編成・V編成が多かったですね。G編成は晩年期に東海道の「こだま」で乗った機会がありました。グランドひかり引退の直前には2階建ての1階部分に乗ることができました。