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足して、引いても、ゼロにはならない。

【happening. |東京プロジェクトスタディ1「わたしの、あなたの、関わりをほぐす」】

雨のBaBaBa

懐かしい街に足を運んだ。行き交う人の様も変わり、街を構成する要素になんの面影もなかったのだが、無性に懐かしかった。

もちろん、当時、ケーススタディスタジオ「BaBaBa」などというスペースはなかった。ここはもともと印刷工場だったらしい。

大開口の入り口。そこにまずは意識が向くが、それは最近の仕事のせいかもしれなかった。

「東京プロジェクトスタディ」とは、

TARL(Tokyo Art Research Lab) 「思考と技術と対話の学校」が展開するアートプロジェクトの核をつくる実践の場。

その2021年度スタディ1「わたしの、あなたの、関わりをほぐす」展覧会を観に、「BaBaBa」にやってきたというわけだ。

なぜ、観に来たのか。

このスタディに、とびらプロジェクトで同期だった知り合いが参加していたからである。

もう一つ。自分が、2019年度のスタディ3の参加者だったからだ。私たちの場合は、発表会場も用意され、いざ告知となった段階でコロナ禍にやられてしまった。未だに発表の機会を失ったままである。

ところで、その知り合いは、アイスブレイクの名手として同期の間では知られていた。企画に参加してくれた一般の方々の体と心をほぐす短いプログラムを考え実践するのが実に上手だった。

と同時に、彼女は俳優だった。さらに言えば、歳の遠くはなれた大学の後輩でもあった。もう一つ付け加えるなら、割とご近所さんでもある。

「作品としてだから自分の暗い趣味を曝け出せた」と作者

彼女の展示は、編み物である。ただただ無目的に「あむ」。そしてそれを今度は「ほどく」ことが彼女の一人遊びらしい。それがそこにあるだけであれば、彼女の趣味の未完成の編み物であるに過ぎないが、彼女は一捻り加えていた。

鑑賞者が好きなだけ“あみ足し”、そしてまたその反対側の編み目を好きなだけ“ほどく”ことができるのだ。彼女の編み目は徐々に消失していき、他者に置き換わっていく。関係性の新陳代謝。

ただ穴を彫り続けるティム・オブライエンの小説を思い出した

鑑賞者は「あむ」「ほどく」を体験したあと、その場で感じたことを小さなトレーシングペーパーの一片に書きつける。それを作者が編み物のところどころにくくりつける。みんな、どんなことを書いているんだろう。

他の人が書いたものを読んでみればよかった

「やってみますか」

そら、きた。彼女の口調は穏やかでやさしいのだが、なぜかちょっと有無を言わせないところがある。そしてニヤッとしている。

一度も編み物などしたことのない老人も、まんまと巻き込まれる。お手本を見ても、わからない。今目の前で起こったことがどういう行為なのか理解できない。

「まず、ここを押さえてください」

ためらう間もなく、指示が飛んでくる。こういうとき、彼女はとても先生的だ。廊下に立たされたくない私は、糸を受け取りやってみる。が、あれ、何か違う。

「これで、あってる?」
「ちがいますね」
世辞はない。

そんなこんなでようやく二目、毛糸を通す。
そして反対側を解く。ぷちぷち。なぜだか糸目がほぐれるときに
そういう感触が指に伝わってくる。それが気持ちが良い。

ぷちぷち、ぷちぷち。彼女の存在をどんどん解いていってしまう。これが繰り返されることで、彼女の時間と他者の時間が入れ替わっていく。

そして、やがて、私の二目も誰かによって失われていくはずだ。

この未完の編み物は、個人に帰することのできない、変容し続ける記憶の堆積のようなものになるだろう。たとえ、自分の編み目が霧消してしまっても、そこに参加したという事実は変わらない。

はて、これはむしろ、“関わり”をほぐすというよりは、
見えない関わりをあらたに創り出している言えるのではないか(笑)。

この街に来たら、やはりこう言わざるを得ないだろう。
やれやれ。

この作品自体を、誰かに引き継いでみたら、どうなるんだろう


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