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国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。

去年の8月末に国家公務員を退職してから、ちょうど1年が経ちました。

その時、ご報告という形で執筆したnote記事には、現職の国家公務員や国会議員の方々をはじめ、大変多くの方から反響をいただくことができました。

ただ、退職後のその後、私がどのように生活をして、どんなことを考えているのかについては、あまり発信ができていなかったと自覚しています。

退職して約1ヶ月後、写真展の振り返りも兼ねて書いた「国家公務員を退職してからの実際のところ」という題のnoteでは、「今のところ、転職したことは1ミリも後悔していません」と言い切っていました。
その言葉からは、写真展の開催と写真集の販売という以前からの夢を無事に叶えることができた高揚感や、退職という大きな決断をしたのだから事態が好転していないとは絶対に認めたくない、といった祈りにも似た気持ちが見え隠れし、今読み返すと、自分の心の底からの言葉ではなかったような気がしています。

今回の記事では、国家公務員を退職して1年が経った今、辛く苦しかった転職活動を振り返り、今の私がどのように生きているのかに焦点を当てて筆を進めていこうと思います。
一個人の体験談にすぎませんが、国家公務員から民間企業への転職を検討されている方や兼業を希望されている方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

退職を決意した理由

国家公務員を退職したと告げると、大半の方から「勿体無い!」という反応をいただきました。
今でこそ、国家公務員を勝ち組のエリートとして羨望の眼差しを向ける風潮は薄れつつありますが、努力して手に入れた地位と安定を捨てる決意に至るまでには、一般的には相当の覚悟と動機付けが必要だと思います。

私が国家公務員を退職することを決めた理由は、上で紹介したnote記事で詳細に記載しているのですが、主に⑴国家公務員には他律的な業務が多く、持続可能な働き方ではないと感じてしまったため ⑵趣味の写真と仕事を両立するのが難しくなってしまったため というものでした。

一つ目の理由は、ここ数年でメディアに取り上げられることが増えたように感じていますが、国家公務員の職務環境が激務であり、しかも自律的に仕事を進めることが難しい立場(突き詰めて言えば政治構造でしょうか)によるものです。
残業時間が月100時間に迫り、家には寝るためだけに帰るような生活が続く中で、様々な体調不良に見舞われるようになってしまいました。
ちなみにこの記事のヘッダー画像は、深夜まで国会対応に追われ、タクシーで帰宅した時に何となくiPhoneで撮った空の写真です。

二つ目の理由は、写真を撮ることが趣味でありライフワークともいえる私にとって、平日は深夜に帰宅し、休日は昼過ぎまで起き上がれない日々で作品撮りが満足にできない状態が続いたのが、精神的に大きな苦痛をもたらしたことが背景にあります。
また、撮影した写真をSNSに掲載するうちに、有償で写真を撮って欲しいという依頼を企業や個人の方からいただけるようになったものの、国家公務員は原則として兼業が制限されているため依頼をお受けできない件が度重なり、今後の写真活動における限界を感じてしまったという理由もあります。

仕事自体にはやりがいを感じていたため、本当に辞めても良いのか約2年間は悩んでいたように思います。
それでも、この先30代、40代、50代になっても国家公務員として働き続けている自分の姿が想像できず、それならできるだけ早く動いた方が良いだろうと国家公務員を退職することを決断しました。

理想と妥協の間で揺れ動いた転職活動

転職活動を始めたのは、辞める年の前年の秋でした。
実際には、それよりも前から転職サイトに登録して求人情報を眺めていたのですが、転職先に求める条件について真面目に考え始めたのはこの頃からです。
転職活動を通じて、条件に合う求人の少なさと自分の市場価値の無さという現実と向き合うのは、とても苦しい日々でした。

転職先を検討する上で私が絶対に譲れなかったのは、兼業が可能な企業、という条件でした。
更に、身分の安定性や保障の充実などといった点から正社員として雇用されることが前提でしたし、他にもフルリモート可能などの条件を付けて求人を探したものの、それらの条件を満たす企業は殆ど見つかりませんでした。
一部のベンチャー企業を除き、「兼業できます!」と求人情報に掲げているような企業はなかなか無いと頭では分かっていたつもりでしたが、厳しい現実に落胆してしまいました。
志望業界では最大手といわれる企業から内定をいただいたものの、兼業が禁止されているため泣く泣く辞退したこともありました。

そんな経緯もあり、転職エージェントの方に相談したところ、兼業を希望していることを表に出さずに転職活動をした方が良いとのアドバイスを受けました。
兼業ありきで採用を望む人間は企業にとっては印象が良くないし、実際には兼業禁止の職場でも隠れてしている人は沢山いますよ、とも言われました。
その時、私の中ではこれまで兼業禁止の制約の中で耐え忍んできた数年間や、そのせいで受けることのできなかった仕事の数々が思い出され、隠れて兼業できるような人間なら既にやってるわ!!!と大きな反発を覚えてしまいました。
(民間企業で隠れて兼業をすることは、国家公務員が隠れてそうすることと性質が異なるのかもしれません。いずれにせよ転職市場に詳しいプロの方のアドバイスとしては合理的・現実的なものだと思います。)

条件を満たす企業が見つかったとしても、向こうが私を採用したいと思ってくれなければ意味がありません。
国家公務員は、通常2年のスパンで異動を繰り返します。
また、組織の大きさゆえに、必ずしも同じような仕事を扱う部署ばかりに配属される訳ではありません。
そのこともあり、「国家公務員として働いても専門性が身につかない」「特殊な環境で得られた技能は役所の外では通用しない」などと評されやすく、転職活動中はそういった言葉を目にする度に落ち込んでいました。
実際に、とある専門的な知識が求められるポジションの面接で「あなたが公務員時代に得た知識や経験をここでどう活かせると考えますか」と問われた際に、様々な立場のステークホルダーを巻き込む調整能力や、語学力を含めた対人スキルについて答えたのですが、「新卒が就活で自己PRするような内容だ…」と一人で恥ずかしくなってしまいました。
この時の面接は当然のように反応は芳しくなく、お祈りされてしまいました。
更に、私には売上高の向上などの定量的なアウトカムを出したと誇れるような職歴が無かったことも、中途採用で求められる「前職で出した成果」をアピールする上での壁となりました。
自分ではやりきったと胸を張って言えるような公務員時代の経験でも、面接では「へぇ、なんかよく分からないけど凄いんだね」といった反応をされてしまうこともしばしばでした。
これらの挫折経験は、国家公務員の職務の特殊性や、民間企業の求めるスキルとの乖離のみに根ざしたものではなく、個人的な能力の低さやアピールする方向の見誤りなどによるものだと思っています。

転職活動を始めた頃は、自分が転職先に何を求めるかを重視しがちでした。
ただ、上記のような失敗を機に、「逆に自分は企業にとってどんな採用メリットがあるのか?」「初めのうちは自分という存在が企業にとっては負債になりかねないのに、新卒よりも高い給与を払ってもらう価値があるのか?」という視点で、自己分析と業界研究を進めていきました。
そして、当初望んでいたいくつかの条件を捨てるなどの妥協を経て、結果的にここだ!と思える条件の職場に内定をいただき、転職活動を終えることができました。
業務の繁忙さにより休憩していた時期もありましたが、転職活動を始めて、約8か月が経過していました。

転職活動を終えた私を待っていた生活とは

転職して何が一番変わったかというと、時間と心の余裕ができたことです。
通勤時間は前職の約3分の1、残業時間は前職の約5分の1にまで減少しました。夏は日が沈む前に退社することができます。
早い時間に帰宅できると、夕食前にランニングをしたり、ゆっくりとお風呂につかることができます。
何よりも嬉しいのが、夫と一緒に夕食を食べることができるようになったことです。「今日の夕飯何食べようか?」という何気ない会話をLINEで交わせることに幸せを感じます。
また、平日に体力を温存できる分、休日は趣味に全力で打ち込める環境が整いました。
平日の通勤中や仕事終わりに、週末の作品撮りの準備や撮影後の編集作業などをこなすことができるので、転職前よりもゆとりをもって作品撮りを楽しむことができるようになりました。

そして、兼業ができる職場への転職は、私が写真と向き合う上で新たなフェーズに踏み出すことを可能にしてくれました。
私には以前から、写真集を作って販売したいという夢があり、職場に何度か相談したことがあります。
写真集を作るだけであれば国家公務員の身分を持ったままでもできるのですが、それを販売するとなると自営兼業にあたるため許可できないとの回答を受け、資金的な事情等から諦めるしかありませんでした。
なので、転職した直後にもう一人の写真家さんと一緒に開催した写真展では、絶対に写真集を販売すると決めて準備を重ね、長年の夢を叶えることができました。

更に、休日に限ってではありますが、お仕事として写真を撮ることができるようになりました。
転職してからライフイベントなどが重なり、落ち着いて写真のお仕事を受けることできるようになったのはここ半年くらいではあるものの、これまでに宿泊施設の撮影、写真雑誌やウェブマガジンへの写真と文章の寄稿、カメラ機材のレビュー、個人の方の宣材写真や記念写真の撮影などのお仕事をさせていただきました。
どこかで既に書いたかもしれませんが、私は写真を仕事にする上ではクライアントの希望に合わせ、自分の好みを押し殺さなければならないこともあるのだろうと危惧していました。
しかし蓋を開けてみると、私に依頼をしてくださるのは私の表現を尊重してくれ、互いにリスペクトをもってお仕事ができるクライアントさんばかりでした。
尊敬する写真家さんがお仕事を紹介してくださることもあり、人との巡り合わせにはとても恵まれていると感じています。

GOOPASSさんのウェブメディア MARSHにてSIGMA 50mm F2 DG DN | Contemporary レビュー
古民家宿るうふ アンバサダーとして坂之家に宿泊
NICO STOPさんの企画で、NIKONの機材をお借りして大好きな短編小説の世界観を表現
古民家宿るうふ 波之家で撮影

写真集の販売も有償撮影も、自己満足では完結させられないという緊張感を伴います。
特に依頼をいただいて撮影をする場合には、自分の表現欲を優先しすぎることなく、クライアントが求めるものと調和するような表現に近づける、もしくは理想の表現一を緒に作り上げていく必要があると感じています。
お仕事として対価をいただいて写真を撮ることで、自分が満足して終わりではなく、どのように撮影すればこのクライアントの伝えたいことを効果的に表し、世の中に広めることができるだろうと、写真が自分の手を離れた時に社会に与える影響について考えるようになった気がしています。

それでも、一片の後悔もありませんと言い切ることはできない

ここまで文章を読んでくださった方々は、私は最善の選択をしたことを誇っており、現状に満足しているのだろうと思ってくださったかもしれません。
しかし残念ながら、今の環境が100点満点だと言うことは噓になります。

今でも、「国家公務員ではなくなった自分」を意識させられることがよくあります。
前職で携わっていた分野の施策がニュースで取り上げられたり、政府時の文書が公表されたりすると、「あの時は色々あって苦労したけど、予算も取れて無事に動いていってるんだな」などと感慨深い気持ちになり、その後、何とも言えない虚しさに包まれることがあります。
今の仕事にやりがいがない訳では無いのですが、例えば国際会議を成功裡に開催できた時や、質問が当たりまくった通常国会が閉会した時のような大きな達成感を仲間たちと分かち合うことは、今ではもう叶いません。
それから、SNSで元同期や後輩がいきいきと高い志をもって仕事をしている姿を見たりすると、その時の精神状態によっては「私はドロップアウトしてしまったんだ」ということを思い知らされ、ささくれだった気持ちになってしまいます。
様々な立場の人との対話を通じて国民に影響を与える法律や施策を整備したり、スケールの大きい国対国の交渉に関わることができたり、より良い国づくりを目指して全国民に貢献できる仕事は、国家公務員以外を探してもなかなか見つかるものではないと思います。
私には入省当時から、国家公務員として成し遂げたい夢があったのですが、ついに希望の部署には配属されないまま辞めることになりました。
志半ばでその貴重な職を自ら手放し、引き換えに得たものとは一体何だろうと、しばし物思いに沈むこともあります。

また、前職と比較して時間に余裕ができたものの、それはあくまで前職と比較して、の話です。
趣味の作品撮りも写真のお仕事も、現実として従事できる稼働時間は週末に限られます。
ここは私の誤算だったのですが、平日の早い時間に仕事を終えることができれば、夜に撮影や執筆の仕事をすることもできるのではと考えていました。
実際に転職してみると、繁忙期は勿論ほぼ毎日残業をする必要があり、テレワークやフレックス勤務などの柔軟な働き方を実施できる環境は、仕事の性質などにより今すぐに実現できそうもないことが分かってきました。
帰宅してランニングをしてお風呂に入って夕食を食べていると、あっという間に22時くらいにはなってしまいます。
私は本業を終えると気持ちがオフモードに入ってしまうこともあり、平日の夜に「さあ、レンズレビューの記事を書くぞ」「お仕事の撮影の準備をしよう」という方向に自分を奮い立たせるのがとても難しいと実感しています。
タイトルで記載しておきながら矛盾しているのですが、今の私は兼業写真家を名乗る資格がないくらい、1日の殆どの時間を本業に費やしてしまっているのが現実です。

そして、自由な稼働時間が週末に限られるということは、写真の仕事に従事できる時間は更に限られることを意味します。
2日間の週末から家族の予定や作品撮りを引くと、残された時間はほんのわずかです。
これも私の見通しが甘かったのですが、多くの場合クライアント(特に企業)からのお仕事を受けるには、直近のスケジュールを明けていない限り難しいことが多々あります。
最近はできるだけ先の予定が埋まりすぎないように気をつけているものの、退職直後は3ヶ月先の予定が埋まっているような状況でした。
これまで同じクライアントから4回もお仕事の依頼をいただいておきながら、スケジュールが合わずお断りしてしまったこともあります。
平日に連続した休みが取り辛いことから、ご縁がありそうだった観光関係のお仕事も受けることができませんでした。

現在私が直面している課題は、週に5日フルタイムで働くという勤務形態と、写真の仕事よりも作品撮りに力を入れるという活動方法を選択したからには当然の結果です。自業自得としか言えません。
むしろ、転職前は全く受けることのできなかった依頼を受けることができるようになっただけで、本当に有り難く幸せなことなのだと思います。
どれだけないものねだりをすれば気が済むんだ、と自分に嫌気がさしてしまうのですが、それでも、こんなはずではなかったと落胆してしまう自分がいます。
本業と兼業の両立については、少し夢を見過ぎていたと認めざるを得ません。
公務員時代に兼業の制限に苦しめられていた私が、その制約からは解き放たれたものの、現実問題として時間が足りず十分に写真の仕事を受けることができないというのは皮肉なものです。

「それなら写真一本でやっていけば良いじゃないか」という声が聞こえてきそうです。現に、何度か勧められたこともあります。
ただ、私は写真を本業にするつもりはありません。
私は小さな頃から、先の見通しが立たない状況下に置かれることが非常に苦痛で、大人になってからも、できるだけ安定した環境で静かに暮らしたいという希望を持ち続けてきました。
決まった時期にほぼ決まった額の給与が支払われ、完全な保証はないまでもこの先も同じ職場に勤めることができるという安心感は、日々の心の安定を根幹から支えてくれています。
私は結婚しているので、何かあれば夫に生計の維持を頼るのも良いのでは、という声もいただきましたが、夫が病気や不慮の事故などに見舞われる可能性もゼロではありません。
夫に何かあっても、一人で自立して生きていけるような状態に自分を留めておきたいし、そのための資金も着実に稼いでおきたいのです。
写真一本で食べていくというのは、周りのフリーランスの方々の話を聞く限りかなりハードルが高いと思っています。
写真家として成功しているように見える方でも、実際はアルバイトを掛け持ちして休む暇がなく働いていると聞いています。
もし私がフリーランスの写真家になったとすれば、自分の性格上期待に応えなければとがむしゃらに働いた結果、国家公務員時代のような働き方に戻ってしまい、また体を壊してしまうこともあり得るのではないかと思っています。
また、今では自己表現の手段として大切にしている写真を撮るという行為が、生活を営むための義務に変わった時、写真そのものを嫌いになってしまうだろうという予感に似た不安があるのも、私が写真を本業にしない理由です。

できるだけ後悔の少ない道を選択し、折り合いをつけて生きていく

国家公務員を退職し、兼業が可能な職場に転職したこと。
それは、あの頃の自分ができた最善の選択だったとは自負していますが、結果的に、自分が思い描いた通りの未来を実現することは叶いませんでした。
こうして世間に自分の転職体験談を発信する以上、本業と兼業の両立をバリバリこなすロールモデルになれたらどんなに良いだろうと思いましたが、これが今の私の現実です。

私が国家公務員に就職した時は、まさか自分がなりたくて仕方なかった仕事を退職することになるとは想像もしていませんでした。
そして、転職を決意した時は、部分的にですらその決意を悔いることになる可能性について考えるのを、敢えて避けていました。
本当に、人生は予想不可能なことばかりだと実感します。
また、欲しいもの全てを手に入れることは到底不可能なのだと、今回の転職活動を通じて痛感しました。

それでも、手に入らないものを嘆くより、今あるものに目を向けて満足できるようになりたい、と強く思います。
退職後、穏やかで人間らしい生活を営むことができるようになり、大好きな写真の仕事に関わることができるようになっただけでも、この道を選択した価値があると信じたいです。
そして、就職も転職も誰かに言われた訳ではなく私自身が下した決断なので、自分の選択を悔いる気持ちは湧いてきていません。
兼業に従事する時間の不足については、もう少し情報収集を行えば良かったと反省しているのですが、それを夜中まで働きながら転職活動をしていた自分に求めるのは酷な気もしますし、あの頃の自分にとってはできることを精一杯やりきったのではないかと思います。
心も身体もボロボロの中、一歩踏み出す決意をしたあの時の自分に、「私を助けてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいです。

どんな道を選んだとしても、結局、人生は思い通りの方向に進まないことが多く、未来を完全に予見することはできない。
それなら、できるだけ後悔が少なくなるように、進む道を自分の手で選択し、理想と現実の折り合いをつけて生きていくしかないのだと思っています。

この長い記事を読んでくださった皆様が、いつか人生で選択をする時に私のことをふと思い出してくれれば、そして、私の体験談が皆様の背中を押す一助となれば嬉しいです。

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