「虹の都へ」発売・喧騒の中へ(1990①)
*9/8 加筆訂正しました。
*このエッセイはページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」を購入していただくと、30年分のエピソード・全42話をまとめて読むことが出来るのでおすすめです。
*1990年(平成2年):ローリング・ストーンズ初来日公演 / ポール・マッカートニー初来日公演 / 東ドイツと西ドイツが経済統合 / 任天堂がファミコンの次世代機「スーパーファミコン」を日本で発売 / 「おどるポンポコリン」が130万枚のヒット / フジテレビ『夜のヒットスタジオ』が放送終了
1990年からの2年間は忙しすぎて、断片的にしか記憶がない。延べ40本、二度のホールツアーを回ったのに、ステージの上からの記憶がほとんどない。あの頃はほとんど呑まなかったはずだから、酒の飲み過ぎではない(笑)
手痛い失敗はなかったが、まだ決められた段取りをこなすのに精一杯だった。一人で作った曲をバンドで再現できればOKで、ライブならではの盛り上がりやオーディエンスを引きつけるパフォーマンスなんて、あの頃の自分には望むべくもなかった。そんな、キャパシティを越えてしまった危うさだけはかろうじて記憶の片隅に残っている。
蒸発してしまった記憶を、人は時に捏造した思い出で補完してしまう。たとえ自分自身のことであっても、まったく油断ならない。嘘の記憶に基づいた後悔や怨嗟を鎮めるためにも、30年分を詳細に振り返るこの骨の折れる作業を続けなければ、と思うのだ。
…と、そんな前置きを書かずにはいられないほど1990年は激しかった。
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2/7(水)シングル「虹の都へ」発売。
発売の翌週レコード会社に行くと、エレベーターからネクタイを締めた管理職の方が2人降りてきた。(レコード会社にはラフな [時に奇抜な] 服装の現場担当の社員と、スーツにネクタイの管理職の社員という、異なる2種類の人種が存在する)
管理職のお二人は、僕と目が合った途端にビシッと気をつけの姿勢から深く頭を下げ、「おめでとうございますっ!」とロビー中に響くような大声で挨拶してくれて、とても驚いた。
「虹の都へ」はオリコン初登場2位(1位は光GENJI「荒野のメガロポリス」)だった。プロとして自慢にもならないが、僕はそれまでもその後も、本当に自分の作品のチャート順位に関心がなかった。
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